平成27年11月3日(火)  目次へ  前回に戻る

またがんばらされるのにゃ?

今日は祝日。楽しかったが明日は平日。悲しいです。長い長いためいきも出るというものだ・・・でちゅ。

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対案不能食、抜剣撃柱長嘆息。

案に対するも食らうあたわず、剣を抜きて柱を撃ち、長(とこ)しなえに嘆息す。

食卓についてみたが、メシを食う気にもなれず、剣を抜いて柱に切りつけ、それから「うう・・・」と長く長くためいきをついた。

これは危険なひとカモ?

丈夫生世会幾時、安能蹀躞垂羽翼。

丈夫世に生じて会すること幾時か、いずくんぞよく蹀躞(ちょうしょう)して羽翼を垂れん。

立派なおとこが世に出て、すかっとうまくいくことがどれぐらいあるだろうか。そしてうまくいかないときに、どうしてちょこまかと歩き回り、つばさを垂らしてしおれていることができるだろうか。

というわけで、いやになったので、

棄置罷官去、還家自休息。

棄置して官を罷めて去り、家に還りておのずから休息す。

すべて放り出してシゴトを辞めて逃げ出し、田舎の実家に帰って自分の思い通りに休息することにしよう。

田舎では

朝出与親辞、暮還在親側。弄児床前戯、看婦機中織。

朝(あした)には出でて親と辞するも、暮には還りて親側に在り。児の床前に戯るるを弄し、婦の機中に織るを看る。

朝、家族と別れて(農作業に)出かけるが、夕方には帰ってきて家族とともにいることができる。コドモがベッドのあたりで遊んでいる相手をしてやり、女房が機織り部屋で機織りしているのを親しく見たりする。

悪い生活ではないのである。

ああ。

自古聖賢尽貧賤、何況我輩孤且直。

いにしえより聖賢、ことごとく貧賤なり、何ぞいわんや我が輩の孤かつ直なるを。

古来、聖人賢者はみな貧乏で苦労していたのだ。わしのようなコネも無くへつらいもしない者は、なおのこといい暮らしなどできようはずがないではないか。

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南朝宋・鮑照「擬行路難」「行路難し」の歌のマネをした)十八首より一首(「楽府詩集」巻七十所収)。

ほんと、おいらのような「孤にしてかつ直」なる者がいい暮らしできるはずがありません。やはりすべて放り出して逃げ出すしかないのだなあ・・・。

―――この鮑照「擬行路難」詩は明末清初の特異な思想家、船山先生・王夫之「古詩評選」

一以天才天韵、吹宕而成、独唱千秋、更無和者。

一に天才の天韵(てんいん)を以て、宕を吹きて成し、千秋に独唱してさらに和音無し。

ひらすらその天から与えられた才能をもちいて、天から与えられたインスピレーションを、まるで風のようにけわしい岩山に吹きつけて出来上がった(ような)詩である。彼のこの歌声は千年の間ただひとり鳴り響くばかりで、誰も返し歌を作れなかった。

と評される名作です(一首はこちらで紹介ずみ)が、鮑照自身は「人微位卑」人微にして位卑し=見た目は大したことなく、身分が低い)と言われ、六朝の貴族社会では芽が出なかった。

臨川王・劉義慶「世説新語」の編者)に自薦しようとしたとき、ひとから「どうせダメなんだし、自重した方がいいのでは・・・」とたしなめられ、

千載上、有英才異士沈没而不聞者、安可数哉。大丈夫豈蘊智能、碌碌与燕雀相随乎。

千載の上、英才異士の沈没して聞こえざる者有りて、いずくんぞ数うるべけんや。大丈夫あに智能を蘊(つつ)み、碌々(ろくろく)して燕雀とあい随わんか。

千年の間をかえりみて、俊英の才人、異能ある士人でありながら、社会に埋没して名前が伝わらない者が、どれだけいると思うか。(わしのような)立派なおとこが、智慧と能力を隠して、平凡にツバメやスズメのようなちっぽけな奴らと一緒にやっていけるものか!

と反論して、ついに詩集を献上したという。(「南史」本伝、「蒙求」下巻所収)

劉義慶はさすがにその才能を認めて臨川王府に採用したが、わずかに侍郎として吏務に与かるだけであった。後、太常博士、中書舎人に進んだが、ついに宋朝王室の内亢に巻き込まれて乱兵の手に死す。齢五十であったという。

あと十六首あるのでじわじわと紹介しますよ。・・・と思ったが、おいらが明日からのシゴトでつぶされなければ、なのでほとんどその可能性はない・・・。

 

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