平成27年11月4日(水)  目次へ  前回に戻る

腹が減ったら食う。おのれを滅ぼすぐらい食うおー。

一日終わった。だがまだ二日も平日が・・・。つらい日々、楽しみは食べることと眠ることなのだ。

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今日は味噌ラーメン食っておつゆにライス入れて「味噌おじや」にして食った。美味かった。が、腹膨らんで苦しい。

食べることは一応喜びである。

老翁一日娯、  老翁が一日の娯(たのし)み、

鼓舌嘉粗飯。  舌を鼓して粗飯を嘉(よ)みす。

 このじじいの一日最大の楽しみは、

 舌づつみを打ちながら粗末なメシをいただくことなんじゃ。

天憐此小儒、  天、この小儒を憐れみ、

為許閑人健。  ために許す、閑人の健。

 天はこのちっぽけな学者をお哀れみくださり、

 わしのような閑人を健康に過ごさせてくれているのである。

「頃日痩躯頗健、一日有一日娯、朝夕三回之蔬食、甘味抵八珍」(頃日、痩躯すこぶる健やかにして一日に一日の娯しみ有り、朝夕三回の蔬食、甘味は八珍に抵(あ)たる)詩。「最近、体は痩せてるんだけどすこぶる健康で、毎日、毎日の楽しみがある。それは朝晩の三回の食事の野菜のメシで、そのうまさはクマの手のひらなどの八つの珍味にまさるとも劣らない」という長い題の詩である。

このじじいはこのとき六十四歳。

味噌おじやのような通風に痛そうなものを食っていたわけではなく、

身健縁心静、  身の健やかなるは心の静かなるに縁る。

食甘為気平。  食の甘きは気の平らかななるが為なり。

 からだが健康なのは心が静かだからである。

 食い物がうまいのは、気分が平らかでたかぶったり落ち込んだりしないからである。

竹萌頻入膳、  竹の萌、しきりに膳に入り、

美敵五侯鯖。  美にして五侯鯖に敵す。

ここのところ毎食タケノコがおかずになる。

うまくて、漢のころ五人の公侯が食べたというごちそう(「五侯鯖」)もこのようであったかと思う。

タケノコ食っていたんです。

「寿岳文章君、見贈新筍、味頗美、遂得詩三首」寿岳文章君の新筍の味すこぶる美なるを贈らる、遂に詩三首を得たり)中の一首。

寿岳文章(じゅがく・ぶんしょう)は明治三十三年(1900)生まれ、平成四年(1992)卒、兵庫県生まれの民俗学者・英文学者。京都帝大卒で河上肇に私淑した・・・ということで、この詩の作者のじじいは河上肇先生だったんです。「小儒」というのは「小マルクス主義経済学者」のことでした。時に昭和十七年。

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「河上肇詩注」(一海知義・岩波新書1977)より。明日も腹膨らむけど足の痛くなるようなやつで飲み会。明後日も。

 

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