平成27年11月2日(月)  目次へ  前回に戻る

「君には期待しているのだおー」「うききー」

本日はなかなかいいメンツとの飲み会。中華だった。食べる方も充実した。

とはいえコドモなので、オトナの会話にはついていけませんでちたけどね。

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今日は平日でしたが明日は祝日。憂いの次には楽しみが来るんです(しかし明日の次はまた平日・・・)。ほんとに悲しくて涙が出てきまちゅよ。

ということで、今日は「先憂後楽」(「岳陽楼記」)で名高い范仲淹先生の「詞」を読んでみまちょー。ちなみに范仲淹は貧困から身を起こし、北宋盛期の仁宗朝を支えた文武両才の名臣で、文字通り「出入将相」(前線では将軍となり朝廷に戻れば大臣となる)の活躍をした方です。范仲淹先生は甘美でロマンチックな詩も作るのですが、この「詞」はちょっと説教じみている?

昨夜因看蜀志。

昨夜、因(した)しみて蜀志を看る。

やっぱり、まずは読書、それも歴史書を読んで勉強です。「因」は「親しむ」の訓があります。「三国志」を「蜀志」で代表させておられるように読めますが、実は「三国」時代の正統を劉氏の「蜀漢」(この場合は正統な漢の後継者なので「後漢」と呼び、ふつう「後漢」と呼ぶ王朝は「東漢」と呼びます)とするか、後漢の献帝から「正統に」禅譲を受けた曹氏の「魏」とするか、というのはたいへん争いのあるところで、北宋時代には一般には「魏」が正統とされていた。この立場からすると司馬温公のように「諸葛、寇す」(蜀の諸葛孔明が侵略してきやがった)という表現をしなければならず、諸葛孔明は立派な人である、ということになっておりましたので、当時の歴史家たちはみな悩んだそうなのです。

「なんでそんなことを難しく考えないといけないのか。正統とか決めないでもいいのでは?」

と現代の教育を受けたふつうの人は思うでしょうが、チャイナの「歴史書」とは自分たちの王朝が「正統」の後継者にあることを証明するための歴史小説だ、と思えばいいぐらいなので、「正統」かそうでないかは彼らにとってはたいへんな問題なんです。気軽に扱ってはいけないらしいんです。

昨夜は、じっくりと「蜀史」をひっくり返してみた。

そして、

笑曹操孫権劉備、用尽機関、徒労心力、唯得三分天地。

笑う、曹操・孫権・劉備の、用って機関を尽くし、いたずらに心力を労して、ただ三分の天地を得たるを。

「わはは」

と笑ってしまった。

魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備、こいつらは駆け引きを尽くし、いたずらに精神を疲弊させて、ただ天下の三分の一を得ただけであったのだ。

屈指細尋思、争如其劉伶一酔。

指を屈して細尋して思わば、争(いかで)か其(か)の劉伶が一酔に如(し)かん。

「指を屈して細かに尋ねる」というのは、指を折ってこまかく損得を勘定する、という意味です。

劉伶は晋のひと、竹林の七賢の一人。女房に強いられて断酒することとしたが、そのことを神前に誓うために酒を用意させて、まんまとこれを飲んで断酒を止めた話とか、外出の際には常に一壺の酒を携えてこれを飲み、従者にはスコップを携えしめ、

死便埋我。

死すればすなわち我を埋めよ。

「わしが死んだら、そこに穴を掘って埋めてくれ」

と命じていた話など、酒にかかわるエピソードのある自由人であった。

彼らの人生の得失を、指を折ってよくよく勘定してみれば、劉伶が酒をかっくらって酔っぱらっていた方が、ずっと得であったのだ。

さて。

人世都無百歳。

人世、すべては百歳たる無し。

ニンゲン世界に、百歳まで生きるひとはほとんどいない。

そして、

少痴騃老成尩悴、唯有中間、些子少年、忍把浮名牽繋。

少(わか)きは痴騃(ちがい)にして老いては尩悴(おうすい)を成し、ただ中間の些子(いささ)かの少年有りて、忍んで浮名を把して牽繋するのみ。

「騃」(ガイ)は「愚か」、「尩」(オウ)は「弱る」。なお、「把」は「〜を」に当たる助詞ですが、ここでは「把して」(持ってきて)と訳せるのでそう訳してみました。

若いころはあほうで愚か(なコドモじみたことばかりし)、年をとると今度は弱って衰えてしまい、なにもできなくなる。その間にすこしばかりの年月があって、この間に人の目から隠れながら浮き名を流して恋愛ざたにかかずらってしまう時期がある。

一品与千金、問白髪如何回避。

一品に千金を与うも、問う、白髪いかんぞ回避せんや。

(この恋愛沙汰という)一つのものに、千金を払っているうちに、白髪にならないようにするにはどうすればいいのか。(あっという間に年老いてしまうものなのだ。)

なんです。

別に勉強しろとか仕事しろとかも言わず、いかにも苦労人の成功者らしく、余裕を持って教えさとしてくれる范仲淹先生なのであった。

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宋・范仲淹「剔銀燈」(「銀のともしびの芯を剪る」の歌の節で)。

 

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