令和2年8月4日(火)  目次へ  前回に戻る

出奔した肝冷斎も、どこかで変なひととして扱われているのであろうか。

岡本全勝さんのHPに李登輝さんのことを取り上げられていました。こんなHPまでご覧いただいてありがたいことです。

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この世には不思議なひとがいるものです。

北宋のころですが、河南の許州に段穀というひとがいました。もともと

累挙進士、家豊于財。

進士に累挙され、家は財に豊かなり。

何度か試験に受かって進士さまにまでなっておられ、実家は財産家であった。

のですが、あるとき

忽如狂、日夕冠幘、衣布袍白銀帯、行游廛市中。

忽ち狂うが如く、日夕冠幘して、布袍と白銀帯を衣(き)、廛市中に行き游ぶ。

突然、おかしくなってしまったようで、昼も夜も、きちんと冠と頭巾をつけ、布の上着と白い銀糸の刺繍のある帯をつけて、商店街に行ってうろうろするようになった。

商店街に行きますと、歌を歌い出す。

一間茅屋、尚自修治。 一間の茅屋、なお自ら修治せん。

信任風吹、連檐破砕、 まことに風の吹くに任(まかせ)なば、連檐破れ砕け、

斗栱邪欹、看看倒也。 斗栱(ときょう)邪(なな)めに欹(そばだ)ちて、看看するに倒るなり。

 柱二本しかない狭い茅葺の家、それでも自分で修理していかねばならん。

 もしも風の吹くままにしたならば、連なる軒木も破れくだけ、

 軒の柱も斜めに傾き、みるみるうちに倒れてしまう。 

毎至倒也二字、即連呼三五句方已。

「倒るなり」の二字に至るごとに、即ち連呼三五句してまさに已む。

この「倒れてしまう」という句のところまでくると、三回から五回ぐらい「倒れてしまう」と繰り返して叫んで、やっと気が済むらしい。

それからまた続けて、

墻壁作散土一堆、墻壁散じて土一堆と作(な)るも、

主人永不来帰。 主人永く来帰せず。

 塀と壁は崩れて一山の土になってしまっても、

 あるじは永遠に帰ってこないのだ。

「わーい、段穀さんが出てきたぞー」「わーい」「わーい」

遇其出入、則有閭巷小児数十随而和焉。

その出入に遇うに、すなわち閭巷の小児数十、随いて和せり。

彼が町に出てくるのを見かけると、横丁のコドモらが何十人と集まってきて、一緒になってその歌をうたったものであった。

おいらもその一人でちた。なつかちいなあ。

おいらたちコドモとは違って、

人以狂待之、不以爲異。

人、狂を以てこれを待ち、以て異なりとはせず。

オトナたちは「狂人」として扱い、「不思議なひと」とは思っていなかった。

慶暦末年病死、権厝于野。後数年営葬。

慶暦末年病死し、野に権厝す。後、数年にして葬を営む。

慶暦の末年といいますから西暦だと1048年でしょうか、病死してしまったので、とりあえず野原に仮葬した。それから数年して、本葬することになった。

そこで、関係者が集まってきて、土を掘り起こしたのだが―――

発視、但空棺耳。

発きて視るに、ただ空棺のみ。

掘り出してみたところ、棺の中は空っぽであった。

仙人になったのだと思われます。

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宋・張師正「括異志」巻七より。わざわざ「これは、許州で実際にそのことを見たひとから聞いたことである。」と書き添えてありまちゅが、オトナは、こんな話を聞くと「非常識だな。あり得ない」と考えてしまうので、そういう注釈が必要だったのでしょう。おいらたちコドモにとっては、変なひとが仙人なのは、当たり前のことでちゅが。

今日は「腹が減りまちた」とコドモ仲間たちと嘆いていたら、岡本全勝さんがごはんを食べさせてくれまちた。キドクなひともいるもんだなあ。ごちそうさまでちた。

 

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