令和元年7月11日(木)  目次へ  前回に戻る

「どけどけでピヨ」「ひよこさまのお通りでピヨ」と広大な心を持つひよこさまたちのお通りだ。行き詰まっている者たちは道を空けざるを得ない。

途中まで金曜日だと思っていたのに、木曜日でした。自暴自棄になってしまいそうだ。

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もう放っておいてくだされ。

我食可自営、 我が食は自ら営むべく、

勿用念甘旨。 甘旨を念うを用いるなし。

穿衣聴露肘、 衣は穿たれて肘を露わすに聴(まか)せ、

履破従見指、 履破れて指の見ゆるに従い、

出門雖被嘲、 門を出でては嘲られるといえども、

帰舎却睡美。 舎に帰れば却って睡美あり。

 わしの食い物は自分で何とかしようと思います。

 うまいものを考えるなんてことはいたしません。

 服は穴があいて、肘が出ていたっていいじゃないか、

 くつは破れて、指が見えていたっていいじゃないか、

 外出すれば「あいつはミジメだなあ」と嘲笑されたとて、

 家に帰ってくれば(気楽だから)かえってよく眠れるというものだ。

まことに、

天理路上甚寛、稍游心、胸中便覚広大高朗。

人欲路上甚窄、纔寄迹、眼前倶是荊棘泥塗。

 天理路上は甚だ寛く、やや心を游ばせしむれば胸中すなわち広大高朗なるを覚ゆ。

 人欲路上は甚だ窄(せま)く、わずかに迹を寄すれば眼前ともにこれ荊棘泥塗なり。

宇宙の理に沿った道はたいへん広い。そちらに少し心を遊ばせると、胸中に広く大きく高く朗らかな気持ちが湧いているのがわかる。

人間の欲に沿った道はたいへん狭い。そちらにわずかに足を向けただけで、目の前にはどこもかしこもイバラの棘と泥だらけの道があるばかりだ。

なのでございます。

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前半は南宋・陸放翁「送子龍赴吉州掾」子龍の吉州掾に赴くを送る)の一部です。この詩は息子の子龍が吉州の役人に赴任するのを見送るやや長い古体詩ですが、その中からわしのことは気にするな、と言っている部分を引用して、肝冷斎の気持ちに換えてみました。なお、陸放翁の詩では、気にするな、といいながらミジメな自分の姿を描いて気にさせようとする詩的技法になってますね。

後半のすばらしい「対聯」は「菜根譚」前集より。青壮年期の肝冷斎はこういうコトバを噛みしめながら昭和から平成初期を生きてきたのじゃなあ。「菜根譚」読むと何となく懐かしい気持ちが湧いてきます。そうしてわしはこちら側をずうっと歩いてきているのじゃが、みなさんは天理路上と人欲路上、どちらを歩いているつもりなのですかな?

 

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