平成30年11月23日(金)  目次へ  前回に戻る

善のネコを書こうとしたのだが、「善」とは何であったかわからなくなってしまい、「なあなあ主義」のネコになってしまった。

無断欠勤しました。しかし今日はまわりのひとにも無断欠勤の人は多いようである。

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無断欠勤ばかりしていると、乱世になります。乱世になりますと、

皇城山野野皇城、 皇城は山野となり野は皇城となり、

変雅変風人不平。 雅を変じ風を変じ人は平らがず。

 みやこが壊れて原野になったり、原野がみやこになったり、

みやこの歌も変わり、田舎歌も変わったが、人の不平は収まらぬ(から、いつの世にも歌は生まれてくるのだ)。

「雅」と「風」は「上流の文化」と「しもじもの風俗」と考えてもいいと思うのですが、「詩経」の王家の儀礼歌「雅」と各国の民謡「風」をイメージしていると思うので、みやこ歌と田舎歌、とさせていただきました。

それでも季節は廻り来る。

骼皮秋瘦山骨露、 骼も皮も秋瘠せて山骨露われ、

狂雲一片十年情。 狂雲一片、十年の情あり。

「骼」(かく・らく)は骨、特に「骨組み」という意味に使われます。ここは、秋の「骼」と「皮」は、おそらく草とか木葉のことで、それらが痩せ落ちて山の本体である岩石が露出してきたことをかっこよく言っているのでしょう。もちろんそこにはニンゲン世界の比喩がある。

秋の大地は骨も皮も痩せ、山々は巌をむき出しにする(人間の心も乱世には真実の本心をむき出しにするのだ)、

狂ったおれはただひとひらの雲になって、この十年を彷徨い続けている。

うわーい、これは厳しい詩だぞ。コワいひとの作ったものなのでしょう。

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本朝・一休宗純「狂雲集」より。ええー、あのトンチの一休さんが、こんな厳しい詩を作るなんてー! 

・・・ととぼけてみました。まあいいや、現世はもうイヤなので、おれも今夜のうちに北に、狂った一片の雲のように流れていくぜ・・・。

 

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