平成30年11月22日(水)  目次へ  前回に戻る

秋が深まってまいりました。今日はさくら鍋食ってきた。ぶたではないのである。

さくら鍋食ったが元気が出ません。今日も眠い。長期的に催眠術がかけられているのではないだろうか。もうダメだ。ようし、明日は無断欠勤して東京からとんずらしてやるぜ。

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清の終わりに近いころ、廬陵の富豪の子、馮生は日本に留学することになり、

娶三日而行、三年乃帰。嘗自日本得催眠術。

娶りて三日にして行き、三年にしてすなわち帰る。かつて日本より催眠術を得たり。

花嫁を迎えて三日で日本に出かけ、三年経って帰ってきた。この間に日本で「催眠術」というものを学んできたのである。

「おれはこれを学んできたのだ。おまえにそれを見せてやろう」

帰って来た晩に、その妻に術を試みた。

術果験。命起則起、命止則止、命言則言、無不如意。

術果たして験せり。起つを命ずればすなわち起ち、止どまるを命ずればすなわち止まり、言うを命ずればすなわち言い、意の如からざる無し。

術は成功した。「立て」と命じれば立ち、「止まれ」と命じれば止まり、「話せ」と命じれば話し出し、すべて術者の思い通りに動いたのだ。

「これぐらいでよかろう・・・」

ところが、

已而命之醒、竟不醒。生彷徨終夜、及天明、夫人遂得狂易之疾。

すでにしてこれに醒むるを命ずるに、ついに醒めず。生、彷徨すること終夜、天明に及びて、夫人ついに狂易の疾を得たり。

今度は「醒めろ」と命じたのだが、どうして醒めないのだ。馮生は一晩中あれやこれややってみたが、夜明けになって、夫人はやっと自分で動き出したが、すでに狂ってしまっていたのである。

この日から、夫人は、

見人輒殴、見馮生亦操杖抶之。家人怪之、詰馮生、馮生不肯以実対。

人を見ればすなわち殴り、馮生を見るもまた杖を操りてこれを抶(う)つ。家人これを怪しみて馮生を詰するも、馮生あえて実を対せず。

ひとを見れば即座に殴りかかる。馮生を見ても、やはり杖を取って殴る。家人らは夜中に何があったのかと馮生を詰問したが、馮生はとうとう真実を言わなかった。

しばらくはみな夫人の平癒を待ったが、なかなか治癒の兆しも無いので、夫人はそのままに両親は新たに妾を迎えて馮生と結ばせた。

「わはは、おまえがおれのところに来れたのには、こんなわけがあったんだ・・・」

生酔後洩於妾、其岳家聞而控之。

生、酔後、妾に洩らし、その岳家聞きてこれを控す。

ある晩、馮生は酒に酔って妾に夫人が発狂したいきさつを話した。ところがそのことがだんだんに伝わって、夫人の実家が馮家を訴え出たのである。

裁判は一年以上にわたった。旧中国の裁判は、訟師といわれる裁判屋が暗躍し、原告も被告も手数料や賄賂でたいへんな物入りになる。

終以親族調和而罷。其家産則蕩然矣。

ついに親族調和を以て罷む。その家産すなわち蕩然たり。

最終的には親族の間の問題ということで示談になったが、その間に財産は消し飛んでしまったのである。

これ以降、隠すことも無くなったので、

生遂以東洋催眠家自居、与人語必及之、甚誇也。

生、遂に「東洋催眠家」を以て自居し、人と語るに必ずこれに及び、甚だ誇せり。

馮生はとうとう「日本帰りの催眠術師」と自ら名乗り、誰かと会話すると必ずこのことを持ち出して、たいへん威張り散らすようになった。

ある日、客人と会話して、その日も自分の術の力を誇っていたとき、

其夫人突出、手搗衣杵乱撃。几案上陳設尽砕。其家人皆至、力拘以入。

その夫人突出し、搗衣杵を手にして乱撃し、几案上の陳設ことごとく砕けたり。その家人みな至りて、力拘して以て入る。

夫人が突然飛び出してきて、衣を打つきぬたを手に持って攻撃をしかけてきたので、テーブルの上の料理や食器はすべて破壊されてしまった。家の者たちが総出でようやく夫人を取り押さえ、暴れるのを無理やり奥の方へ連れ出して行ったのだった。

その後で、

客大駭、問爲誰。

客大いに駭き、問うて誰とか為す。

客はたいへんびっくりして、「いったいあの女は何者かね」と訊ねた。

「あれか?」

生以告、且曰此吾催眠術之成績品也。

生以て告げ、かつ曰く、「これ吾が催眠術の成績品なり」と。

馮生は言った。

「あれは女房だよ。そして、わたしの催眠術の最高傑作だ」

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「清朝野史大観」巻八「清人逸事」(清代のひとたちのエピソード)より。

久しぶりで李香蘭のCD(「SP盤復刻による懐かしのメロディー 李香蘭(山口淑子) 蘇州夜曲」1993.4日本コロムビア)を聞いたので、清末モノが読みたくなって読みました。読んでいただくと、本来の、返り点やら一二点でひっくり返って後ろから読むような漢文ではなく、頭から読んで行ってもだいたい日本語でも意味がわかる、日本語の影響を受けた近代漢文になっているのがわかるのもオモシロいのですが、それよりもその内容、登場人物の人格、事件の概要、裁判やら発狂やら、あまりにも旧中国的ですばらしい。チャイナスティック・オリエンタルマジックである。こういうのがあるので、チャイナ文を読むのはやめられないのだ。

※なお今日は沖縄のをなりさま(さしあたりこのあたり参照)からすばらしいのが来た! しばらくしたら、こんな漢文読んでる必要無いぐらい元気になれるカモ。

 

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