平成30年1月15日(月)  目次へ  前回に戻る

夜は起きているが昼間シゴトをしようとしないフクロウでさえ批判される。昼も夜も限界の肝冷斎一族への批判はとどまるところがないであろう。

まだ月曜日だというのに本当に元気が出ないんです。今週の出勤は明日ぐらいで限界かと思われます。

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晋の時代のことです。

阮瞻、字・千里は、竹林七賢のひとり阮咸の子であるが、

善弾琴、人聞其能、多往求聴。

弾琴を善くし、人その能を聞きて、多く往きて聴くを求む。

琴を弾くのが上手であった。彼の琴がすばらしいと聞いて、多くのひとが彼のところに聞かせてもらいに行った。

すると、阮瞻は、

不問貴賤長幼、皆為弾之。神気冲和、不知何人所在。

貴賤・長幼を問わず、皆ためにこれを弾ず。神気冲和して、何人の在る所かを知らざるなり。

相手の貴賤や長幼に関係なく、誰に対して琴を弾いてやった。その音曲は、神秘的な雰囲気が満ちて和やかであり、そこにどんな人がいるか、などということは関係無かったのである。

特に阮瞻の妻の兄に当たる潘岳は、よく琴を弾くことを求めたが、

終日達夜、無忤色。

日を終え夜に達するも、忤色無し。

いつも一日中弾き続けて、夜になるまで演奏を求められても、イヤな顔一つしなかった。

識者嘆其恬淡、不可栄辱。

識者その恬淡にして栄辱すべからざるを嘆じたり。

もののわかった人たちは、阮瞻が物事にこだわらず、毀誉褒貶を超越していることに感心したものであった。

一方、戴逵、字・安道もまた琴を弾くに長けていたが、

武陵王使人召之、安道対使者破琴、曰、戴安道不為王門伶人。

武陵王、人をしてこれを召さしむに、安道、使者に対して琴を破りて、曰く、「戴安道、王門の伶人たらず」と。

武陵王さまが人を遣わして琴を弾きに来てくれと頼んで来たとき、戴安道はその使者の目の前で琴をぶち壊して、

「この戴安道というニンゲンは、王家の楽士ではございませんでな」

とうそぶいた。

どちらも立派なものですが、

余以謂安道之介、不如千里之達。

余は以て、安道の介は千里の達に如かず、と謂わん。

わたしは、戴逵のプライドの高いのよりは、阮瞻のこだわりないの、の方が、良いように思います。

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「東坡題跋」巻六より。中庸・穏和を尊ぶ蘇東坡の好尚を伝えるコトバとして古来有名なものなのですが、戴逵もほかのエピソードではこだわり無いおおらかなひとなので、この時はよほど何かあったのではないかとも思われます。

それはそれとして、ようし、明日こそは職場で、

「この腹減斎というニンゲンは、会社の社員ではございませんでしてな」

とうそぶいて、パソコンか何かぶっ壊して帰ってくることにします。みなさん、楽しみに待っててください。

 

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