平成30年1月16日(火)  目次へ  前回に戻る

昼間は「に・が・て」、夜は「よ・わ・い」、シゴトは「き・ら・い」が普通である。

もう疲れてまいりました。なのに、まだ火曜日だとは・・・。

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昨日、晋の阮瞻が登場しましたので、彼のもっと有名なエピソードを掲げておきます。(「腹減斎はもしかしたら阮瞻のこの話知らないのか」と思われると困るんで。)

阮瞻、字は千里、始平太守・阮咸の子である。

性清虚寡欲、自得於懐。

性、清虚にして寡欲、懐に自得す。

性格は清廉でおのれを虚しくし、欲望少なく、心の中で自分で納得するタイプであった。

例えば、

読書不甚研求、而黙識其要。遇理而弁、辞不足而旨有余。

読書するも甚だしくは研求せず、而してその要を黙識す。理に遇いて弁ずるに辞足らずして旨には余り有り。

書物を読んでも、すごく細かく研究するというわけではないが、そのポイントは黙って理解する。議論すべき時に語ると、言葉は足らないのだが、言いたいことは本当によくわかる。

というひとであった。

これも竹林七賢の一人とされる王戎と会ったとき、王戎はもとの友人・阮咸の子と知って、問うた。

聖人貴名教、老荘明自然。其旨同異。

聖人は名教を貴び、老荘は自然を明らかにす。その旨、同じきや異なるや。

「聖人・孔子は名分を重視する考えであった。老子や荘子は人為を加えず自然そのままにしておくことを方針としていた。さて、この両者の考えの基本的なところは、同じだったと考えてよいのだろうか、違うと考えるべきなのだろうか」

当時流行ったといわれる哲学的な議論、「清談」である。

阮瞻は、これに対してたった三文字(チャイナ語なら、三文字=三音節になります)で答えた。

将無同。

同じきこと無からんとす。

「同じでないようにしようとしています」

根本は同じであるが末節には違いがある、ということを簡略に伝えようとしたのであろう。

「ほほう」

戎咨嗟良久、即命辟之。

戎、咨嗟(しさ)することやや久しく、即ち命じてこれを辟(め)す。

王戎はしばらく感嘆していたが、気を取り直すと、すぐに彼を幕僚に任命した。

時謂之三語掾。

時にこれを「三語の掾」と謂えり。

当時、この出来事を、「三音節の幕僚」と言って、もてはやしたものである。

これが「阮瞻三語」という有名なエピソードです。

ところで、阮瞻は霊的なものは存在しない、という「無鬼論」を採っており、

此理可以弁正幽明。

この理、以て幽明を弁正すべし。

「この理論によって、現世と死後の世界について、すべて説明できる」

と言っていた。

ある日、

忽有客通名謁瞻。

たちまち客有りて、名を通じ、瞻に謁す。

予約無くお客が来て、名刺を出し謁見を乞うてきた。

瞻与之言、良久及鬼神之事、反覆甚苦、客遂屈。

瞻、これと言い、やや久しくして鬼神の事に及び、反覆はなはだ苦(つと)め、客ついに屈す。

阮瞻はこのひとと面会して議論したが、しばらくすると議論は精霊や幽霊に関する問題になり、阮瞻は何度も相手に反論して、ついに相手を屈服させてしまった。

するとこの客人は、

乃作色、曰、鬼神古今聖賢所共伝。君何得独言無。即僕便是鬼也。

すなわち色を作し、曰く「鬼神は古今の聖賢の共に伝うるところなり。君なんぞ得て独り「無し」と言うや。即ち、僕すなわちこれ鬼なり」と。

突然、顔色を変えて怒り出して、言う、

「幽霊や精霊は、いにしえの聖人・いまの賢者が口をそろえてその存在を前提としているものじゃないか。それなのに、あなたひとりがどうして「そんなものは無い」と言い得るのか。よろしいか、このわたし自身が幽霊なんですぞ!」

そして、

ぼよよよ〜ん。

於是、変為異形、須臾消滅。

ここにおいて、変じて異形となり、須臾にして消滅す。

目の前で変化しておそろしい姿になり、しばらくするとにやりと笑って、それからすうっと消えて行った。

「うーん。ほんものが出てくるとは・・・」

瞻大悪、歳余病卒。

瞻大いに悪み、歳余にして病みて卒す。

阮瞻、たいへん不愉快そうにしていたが、これがショックであったのか、その後一年余りで病気になって亡くなった。

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「蒙求」巻上・第110則。ほんもの出てくると困りますよね。

思うに、いろいろ複雑なことを言おう、わかってもらおう、とするからいけないので、明日こそは「い・や・だ」「や・す・む」「か・え・る」の三語で自己主張します。そして、目の前でおそろしい姿に変化して、にやりと笑って、すうっと消滅しよう、と思います。疲労が甚だしいので、三日も連続でハタラクのは難しいんです。

 

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