平成29年12月21日(木)  目次へ  前回に戻る

ニワトリやヒヨコに毎日怒られていたら、さすがに山中に隠棲してしまおうと思うであろう。

みなさんたいへんですなあ。わしはすでに山中に隠棲しておるから楽ちんじゃが。

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仲冬十一月、 仲冬の十一月、

雨雪正霏霏。 雨雪、まさに霏々(ひひ)たり。

旧暦の十一月は「冬至を含む月」ですから、ちょうどいまごろ。「霏」は天から空一面にものが降って来る様子。

 冬の第二月に当たる十一月、

 雨と雪がまさしく空一面に降りしきっている。

それでどうなるかといいますと、

千山同一色、 千山、同じく一色、

万径蹤跡稀。 万径、蹤跡(しょうせき)稀なり。

 千の山はすべて同じ(雪の白)色になり、

 万の道にはひとの足跡はほとんどない。

これは唐・柳宗元の名高い句

千山鳥飛絶、 千山鳥の飛ぶこと絶え、

万逕人蹤滅。 万逕人の蹤(あしあと)滅す。

 千の山には一羽の鳥も飛んでいない。

 万の道にはひとの足跡すべて無くなった。「江雪」

を踏まえる、というか、少し文字を入れ替えただけです。

わしはこんな情景の中で山中におるわけです。

昨游都作夢、 昨游はすべて夢と作(な)り、

草堂深掩扉。 草堂に深く扉を掩(とざ)す。

 昨日までの旅は、すべてもう夢だったかのようで、

 草ぶきの庵の扉を深く閉ざして引きこもっているのだ。

世間様と関係しなくて済むのはよいが、すごく寒いんです。そこで、

終夜焼榾柮、 終夜、榾柮(こつとつ)を焼き、

静読古人詩。 静かに古人の詩を読みぬ。

「榾柮」はごつごつとコブの出た木。

 一晩中、ごつごつした薪を焚きながら、

 静かにいにしえびとの詩を読み耽る。

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大愚良寛「詩集」より。

良寛さんが読みふけっている「古人の詩」というのは、おそらく愛読書の寒山詩であったろうと推測されます。

たとえば、

三界任縦横、 三界、縦横に任せ、

四生不可泊。 四生、泊まるべからず。

無為無事人、 無為無事のひと、

逍遥実快楽。 逍遥として実に快楽なり。

 もろもろの生命は、色界、欲界、無欲界の三界を輪廻に任せてあちらに行きこちらに行き、

 卵から生まれたり、子宮から生まれたり、湿気のあるところから生まれたり、突然何もないところから生まれたり、しながら、そこに止まることもない。

 そんな中で、何事をも為さず、何事をも背負わないひとは、

 ふらふらとして、まことに楽しいなあ。 (寒山詩「我見出家人」

とか読んで、「ああ、わしは幸せだなあ」と呟いていたりしたのであろう。怪しからん。羨ましい。

 

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