平成26年11月23日(日)  目次へ  前回に戻る

「東北で研究調査しておりましたが」

もう桃郷に戻ってきてしまいました。寒いところから戻ってきたので、意外と桃郷は暖かい、という気さえする。しかし人の心がなあ・・・。

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さて、一昨日の続きですが、北宋の張子野は宴会場に「天仙子」の替え歌を届けたのでした。

するとこの「替え歌」が出来がいいので大評判になりまして、あっという間に帝都・開封の知識人たちの閧ノも伝えられた。

数か月後、都から翰林院供奉・尚書郎の宋祁(字・子京)というひとが出張で嘉禾にやってまいりました。

宋子京は業務もそこそこに、

「張子野という人物がおる。

奇其才、先往見之。

その才を奇とし、まず往きてこれに見(まみ)えん。

並ぶ者の無い才能を持っていると思うので、しごとより先にそのひとのところに行って会ってみよう」

とその家に面会に出かけた。

門前で、

欲見雲破月来花弄影郎中。

「雲破るれば月来たりて、花は影を弄す」郎中に見(まみ)えんと欲す。

「雲が切れて、その合間から月が現れると、水辺に咲く花と、その影が揺れているのが見えた」どのにお会い申し上げたい。

と呼ばわると、

屏後呼。

屏後に呼ぶあり。

入口の屏風の裏から、「どちらさまかな?」と応える者がある。

「翰林院供奉・尚書郎の宋子京と申す」

すると屏風の裏のひと、大きく咳払いして、

「さればあなたは、

得非紅杏枝頭春意鬧尚書耶。

得て「紅杏枝頭に春意鬧(さわが)し」尚書にあらざらんや。

「赤い杏の枝先に、春の思いが騒ぎはじめている」どのではござらぬか。

よくぞお見えくだすった」

遂出置酒尽歓。

遂に出でて酒を置き、歓びを尽くせり。

屏風の後ろから出てくると、宋子京を招き入れて、酒壺を閧ノして語りあった。

のであった。

けだし、宋子京の「木蘭花」詞に曰く、

東城漸覚風光好、  東城ようやく覚ゆ風光の好ろしきを、

縠皺波紋迎客棹。  縠皺(こくひ)の波紋、客棹を迎う。

漉k煙外暁雲軽、  漉kは煙外にして暁の雲は軽く、

紅杏枝頭春意鬧。  紅杏の枝頭に春意鬧(さわが)し。

 町の東側の船着き場あたりは、だんだんと風も温み明るくなってきたようだ。

 綾衣のしわのような細かな波紋が、たびびとを乗せた舟の到着を迎えている。

 楊の葉も緑に色づき、かすみがかって、朝の雲はもくもくと空に湧いている。

 赤いあんずの枝先に、春の思いが騒ぎはじめているのだ。

と。

張子野の方も以前よりこの「紅杏枝頭、春意鬧し」の句が気に入っていて、宋子京と一度会いたいものと思っていたのだった。

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宋・陳正敏「遯斎閑覧」より。

こういうのを「嘉話」とか「佳話」(いい話)というらしいのですが、張子野はこのときもう五十歳を過ぎたおっさんだったんです。五十過ぎてこんなポエムづくりに必死になっているとは情けない。 実は張子野については悪いウワサもあるのでございましてな、むふふ・・・が、それは明日のお楽しみに。

 

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