平成25年11月24日(日)  目次へ  前回に戻る

 

今日から担当の繁令斎です。今日まで肝冷斎と沖縄にいましたが、夕方の便で帰京。肝冷斎はまだ沖縄にいるのかな? それとも彼岸に帰ったのかな。

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清の乾隆年間に福建提督になった馬負書というひとは、文字を書く(もちろん筆で)のが好きで、

稍暇即臨池。

やや暇あれば即ち臨池す。

「臨池」というのは、後漢の張芝の故事(文字を習うに当たって池に臨んで座し、一字覚えるたびに筆を洗っているうちに、ついに池の水が黒くなった)というのに基づきまして、硯の前に座って文字を書くこと。

少しでも時間があればすぐに文字を書いていた。

ある日のこと、

所用巨筆懸架上、忽吐焔、光長数尺。

用うるところの巨筆、架上に懸くるが、忽ち焔を吐き、光長数尺なり。

日頃使っている中でいちばん大きな筆、これは壁の筆架けに掛けてあったのだが、これの筆さきからほのおのようなものが飛び出した。その光は長さ数尺(1〜2メートル)にも及んだ。

筆さきから飛び出した「ほのお」とは、レーザービームのようなものをイメージすればいいのであろうか。

自筆端倒注于池、復逆巻而上、蓬蓬然。

筆端より倒(さかし)まに池に注ぎ、また逆巻して上がりて蓬蓬然たり。

筆の端から出たレーザービームは庭先に池に注ぎこみ、そこからまた逆に巻き上がって、先はバラバラになっていた。

「これはなにごとか!」

この現象、

逾刻乃斂。

刻を逾えてすなわち斂(おさ)まれり。

一刻以上もしてからようやく治まった。

公邸も役所も大騒ぎになったので、馬公とその家人のみならず、

署中弁卒皆見之。

署中の弁・卒みなこれを見たり。

役所内の書記官・武官、みなが見たのである。

五代・王仁裕「開元天宝遺事」に、

李白少時、夢所用之筆頭上生花、自是才思贍逸。

李白は少時、夢に用うるところの筆頭上に花を生じ、是れより才思贍逸たり。

李白はわかいとき、用いていた筆の先に花が咲いた夢を見た。それ以降、彼の才能・想像力はずば抜けたものとなったのである。

という「筆頭生花」の故事が載せられてあるが、しかるにこれは夢の中のまぼろしである。馬負書の場合は現実に起こったことであるからたいへん不思議なことだが、馬公が在職中に亡くなったこととあるいは関係があったのかも知れない。

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清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻五より。夢と現実、どちらが真実なのであろうか。

さきほどまであたたかい沖縄にいたのに、今は寒い寒いお東京。そして明日は会社・・・。

沖縄での時間が現実でなくて夢であればいいとさえ思います。夢ならば今宵眠ればまた行けるかも知れぬのだから。

 

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