平成25年5月19日(日)  目次へ  前回に戻る

 

肩とか腰とか痛いんですわ。

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明日は月曜日なので心が不安と恐怖におののいている。何とか精神の安定を得るべく、久しぶりに悟元道士・劉一明の言葉を聞いてみる。

―――真理というのは遠いところにあるのではない。

と道士はいつもの持論をおっしゃる。

「どこにあるのですかな?」

と訊いてみました。

―――たとえば、鐘がカンカンと鳴り、鼓がドンドンと響く、そこに真理があるのである・・・・

鐘敲之則鳴、鼓撃之則響、以其外実内虚。中空無物、故能鳴能響也。

鐘のこれを敲けばすなわち鳴り、鼓のこれを撃てばすなわち響くは、その外の実にして内の虚なるを以てなり。中空にして無物、故によく鳴りよく響くなり。

鐘をたたくと鳴ります。鼓をたたくと響きます。これは、それらは外側だけで中がからっぽだからじゃ。中が空っぽで物が無い、だから鳴ること、響くことができるのだ。

このことを思い見れば、そこに

真空妙有の道(まことに空っぽのところにまことに不思議な秘密があるという真理)

があらわれてまいろう。

鐘や鼓の中はまことに空っぽだが、そこにまことに不思議な秘密があって、音が生まれ出るのである。

おまえたちもまた、このように真空を以てあるべき形とし、常に静かに常に受け身に、じっとして動かず、空にして空ならず、精神は四方に活発に通じ、巨大な炉の中でもう一度これまでの汚れた自分を煉りなおして、磨き立ての鏡のようになるとよい。

雲散月現、露出金剛不壊法身、超出乎陰陽造化之外、与太虚併長久矣。

雲散ずれば月現れ、金剛不壊の法身を露出し、陰陽造化の外に超出して太虚とあわせて長久ならん。

雲がはれれば月が出るように、(これまでの汚れを落とせば)ダイヤモンドのようになにものにも損なわれないほんとうの姿が現れるであろう。それは物質の変化の外に超え出るモノであり、大いなる虚空とともに永遠の存在なのじゃ。

―――今日の説教はここまでじゃ。

ぼ〜ん、もくもく。

悟元道士は煙となって、時空を超えて帰っていかれた。

「なるほどなあ」

とわしはちょっとわかったように感じました。

が、しかし、やはり明日は月曜日だった。この切実なる問題意識に応えるべき奇蹟は、いかに悟元道士の力でも起こらなかったのでございます。

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劉一明「悟道録」巻下(「道書十二種」所収)

ということで、今日は「真空妙有の道」を学びました。鐘のように「ぼかん」と殴られても「なにをするんだ」と反発せずに、「ごーん」と美しい音で答えましょう。いつの日かシアワセが来るにちがいない・・・。

 

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