平成23年11月1日(火)  目次へ  前回に戻る

 

11月になりましたな。

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昨日からの続きです。

元城先生は、

「さあ、漢が再び天命を受けた、そのはじめのしるしはどこにあったと思うか、言うてみよ」

と問われた。

門人たちは考え込むばかりで、答えはない。

「うむ、やはり君らには難しい質問であろうのう・・・。わしが思うに、漢が再び天命を受けた、そのはじめは、漢の四代目の皇帝で高祖にとっては孫に当たる景帝(在位紀元前156〜141)に、第九皇子・長沙王劉発が生まれたときにさかのぼるのである。理由はわかりますかな?」

「はて?」「わしらには」「とんと・・・」

先生はさもありなんとばかりに頷かれながら、おっしゃった。

「後漢を立てた光武帝は、この長沙王・劉発の子孫だからじゃ」

「なるほど」

「そうですか、そうですか」

門人たちは大いに頷いたが、それをじろじろ見ていた先生は、首を横に振り、

「う〜ん、いや、そうではなくて・・・、

又非所以為兆朕也。

また、以て兆朕と為すところにあらざるなり。

よく考えてみると、そこがはじまりのはじまりのしるし、という時点ではなかったわい」

と言い出したのであった。

「は、はあ・・・」「はじまりのはじまり、ということではない、と・・・」

先生が続けておっしゃるには、

「よくよく「漢書」の記述を読んでみるがよいぞ」

というので、「漢書」巻五三・景十三王伝(景帝の十三人の息子たちの伝)を閲するに、

・・・ある晩、景帝は、御寵愛の程妃(魯王・劉余ら三人の皇子を生んでいる)をお召しになった。

ところが、

程姫有所避、不願進、而飾侍者唐児使夜進。上酔不知以為程姫而幸之。遂有身。

程姫、避くるところありて進むを願わず、而して侍者・唐児を飾りて夜進ましむ。上、酔いて知らず、以て程姫と為してこれに幸す。遂に身(シン)あり。

程妃さまは障りのことがあってお召にしたがうのを嫌がられ、自分の侍女の唐児(唐の小娘)をいろいろと飾り立てて、その晩、お召に従わせた。

帝は酔っておられた。

「おお、程妃であるか、ひひひ」

唐児を程妃だと思い込んで、これと交わられたのである。これによって唐児は孕んだ。

ちなみに、程妃の「避くるところ」とは、だいたいわかるのですが、唐の歴史家・顔師古がわざわざ注を付けて

謂月事也。

月事を謂うなり。

「月のもの」のことですよ。

と明確にしているところである。

已乃覚非程姫也。及生子因名曰発。

すでにすなわち程姫にあらざるを覚るなり。子を生じるに及んで、よりて名づけて「発」と曰う。

その後、やっとその晩のお相手が程妃ではなかったことに気づき、皇子がお生まれになると、「発」とお名づけになられた。

これには三国のひと張晏が注を附しておられまして、

長沙王生乃発窹己謬幸唐姫。

長沙王生じてすなわち己れの謬(あやま)ちて唐姫に幸するを発窹(はつご)せり。

長沙王がお生まれになって、やっと自分が(程妃だと間違って)唐児と交わっていたのだということに、気づき悟った。

ことから、「発」(「気づいたちゃん」)と名付けたのだ、ということである。

「・・・・・・・・・・という、「漢書」の記述を讀んでくれれば、君らにも「はじまりのはじまりのしるし」がわかってもらえるじゃろう。

向使程姫無所避、景帝不酔、唐姫其能幸乎。

さきに程姫をして避くるところ無く、景帝をして酔わざらしむれば、唐姫それよく幸せんや。

まず程妃にさわりのことが無く、また、景帝がその晩酔っていなかったとしたら、唐児は帝と交われなかったであろう。

すなわち、

程姫之避、景帝之酔、天実使之也。

程姫の避、景帝の酔い、天実にこれをせしむるなり。

程姫に月のものがあったこと。その晩、景帝が酔うていたこと。これは、ほんとうのところ、天がこのように配慮した「しるし」であるとしかいえないのである。

これが、「はじまりのはじまりのしるし」なのじゃ。

其推原遠矣。

その原(もと)を推(おも)うに、遠いかな。

そのはじまりのところを推察していけば、こんなにもはるかなところにあるものなのである」

「なるほど」

「よくわかりました〜」

と門人たちはみな、そのことをメモに取ったのであった。(かくいうわたくしも)

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江川卓さんが日テレでやっていた(まだやっているのかも。最近テレビ見ないのでわかりませんが)「エガワなひとの目! 今日の試合のポイント」みたいなのを思い出してしまいました。宋・王勉夫「野客叢書」より。

 

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