平成23年8月5日(金)  目次へ  前回に戻る

 

今日は飲み会。世の中にはいろいろと「こだわり」を持った若いひとたちがいるものである。なかなか捨てたものでもあるまい、とも思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

金倫は若いころ平安道香山寺(ぴょんあんど・ひゃんさんさ)あたりをさまよっていたとき、世捨て人の李千年なる老人に逢うて、彼の勧めるままに六七年の間、ともに山野に隠れ暮らし、この間に未来を占う術(「数術」)の蘊奥を伝えられたのであった。

李千年はある日、金倫に告げていうに、

「すでにおまえには教えるべきことはすべて教えた。これからはおまえはおまえの道を歩むがよい」

と。

金倫、いずまいを正して、

「先生はこれからどうなされるのですか」

と問うに、李千年は謎めいた笑いを浮かべ、歌を歌うて答えて曰く、

八十過ぎのこのじじい、

人間世界の穢れを逃れ、

ふたたびもはや夢は見ず、

ともとするのは白鶴ぞ。

雪榻蟾光冷、  雪の榻(しじ)に蟾光(せんこう)冷たく、

雲窗日影疏。  雲の窗に日影疏なり。

 雪のベッドに月の光しらじら

 雲の窓べに日の光ちらちら

気ままな暮らしは鏡のように

何千年もすがすがし。

「蟾光」とは「ひきがえるの放つ光」。この「ひきがえる」は月の中にいる巨大なひきがえるのことで、その光とはすなわち月光のことである。

李千年にはいつも一人の童子がしたがっておった。

金倫が李千年とともにさまようようになってからもう七年にもなるのだが、この童子はいつまで経っても童子のまま。

この童子がまた別れに臨んで一篇の詩を贈ってくれた。

「金倫ちゃんよ、

天地無家山水客、  天地に家無き山水の客、

生涯一句意如何。  生涯の一句、意如何。

苔痕山路白雲鎖、  苔痕の山路は白雲鎖(とざ)し、

月影清冷竹影疏。  月影清冷にして竹影は疏なり。

 天地の間に家も無い、われら山水に宿るたびびとには。

 それが最後に伝えようとする一句はよくよく考えてみるとよい。

 天上に続く一面に苔むした山道は白雲にとざされてしまい、

 地上に落ちた月影は清けれど冷えびえ、竹の影はまばらであろう。

ということでちゅよ」

 (すなわち、自分たち山水の旅人はもうこの現実社会から隔絶されたところへ行ってしまうよ。残されたおまえさんは清い生活をするだろうが寂しい人生になるだろう、と言うたわけ)

李千年は童子に向かい、

「これこれ、そこまであからさまに言うではない」

と笑いながら叱りつけ、童子は

「そうでちた。ごめんなちゃい。これはおいらが言い過ぎまちた」

と謝って、ぽん、と自分の頭をたたいた―――。

その瞬間、二人の姿はかき消すように消えた。

「ああ、先生、そして童子よ、わたしも・・・」

金倫が呼ばいながら近くの丘の上に駆け上がると、もう遥かかなたの野中の道を北の方、蒼海に向かって歩いて行く二人の姿が、小さく見えるばかりであった。

―――金倫は言わずと知れた16世紀の大占術師だ。

―――李千年という謎の老人は、あるいは鄭希良の隠逸のすがたでもあるというが、そのこと詳らかでない。鄭希良は字を淳夫、号を虚庵といい、李朝・燕山君のころの文人官僚で加えて占術をよくしたが、党争に巻き込まれて誅されたとも、そのことを察知して野に隠れたともいい、その最期の知れないひとである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、これは李朝のひと、金正国「思斎摭言」に書いてあった。18世紀の夢軒・洪万宗の編にかかる「詩話叢林」所収スミニダ。

わしも李千年のように若いものを教え鍛えて、静かにこの世から消えゆく所存スミダ。

 

表紙へ  次へ