平成23年8月4日(木)  目次へ  前回に戻る

 

今日は会社の巨大先輩大先輩に小料理屋に連れて行っていただき、でかいおにぎりなどを飲み食いさせていただきまちた。

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宋の太宗皇帝のときに進士となり、後、大理評事(判事)や府知事を歴任した張詠というひとのエピソード。

(1)湖北で府知事をしていたときの事件。

ある小役人(原文「吏」。御承知のとおりシナ前近代の「吏」はたいてい政府から給与を受けるわけではなく、非公認の手数料と横領と収賄でメシを食う賤業であったわけですが、ここでは便宜上「小役人」と訳す)が倉庫から出てきたとき、髪の毛の間に一銭銅貨がはさまれていた。

張詠が見とがめて「どこから持ち出したのか」と詰問すると、小役人は

「いつの間にか髪にはさまっておりまして、気が付きませんでした」

ととぼけた。

張詠が倉庫の銭を数えさせると一枚不足である。

「盗んだのではないか」

「いえ、まったく気が付きませんで」

業を煮やした張詠は

「まことのことを言え!」

と、別の者に命じて、小役人を杖で打たせた。

杖で打たれた小役人は、

一銭何足道。乃杖我耶。爾能杖我、不能斬我也。

一銭、何ぞ道(い)うに足らん。すなわち我を杖するか。なんじ、よく我を杖するも、我を斬ることあたわざらん。

「一銭ですぞ。どれほどのことがありましょうか。それなのにわたしを杖でお打ちになるとは・・・。しかし、あなたさまはわしを杖で打つことはできても、斬ることはできますまい」

杖で打つのは部下を懲戒する罰ですから、(たとえ死ぬまで打ち据えても)知事の権限内のことである。しかし、斬るのは刑罰として行うことになるので、中央まで届けて許可をもらわねばならず、知事の権限で行うことができない。そのことを踏まえての抗議、ないしは悪態である。

張詠、怒気も鋭く、

一日一銭、千日千銭、縄鋸木断、水滴石穿。

一日一銭なれば千日千銭、縄鋸も木断し、水滴も石穿す。

「一日に一銭づつ盗み出せば千日後には千銭ぞ! 縄で木をこするだけでも長く続けば木は切れる。水が滴るだけでも長く続けば石に穴ができる。(少額だからといって許されることがあろうか!)」

と呼ばうと、自ら剣を抜いて、即座に小役人を斬り殺した。

そして、その日のうちに「専殺」(中央に断らねばならない斬罪の判決を自分だけで下してしまった越権行為)を以て自らを弾劾する文書を作ると、辞表と一緒に中央に送付し、荷物をまとめて郷里に帰ってしまった。

府内のひと、そのことを聴き、

快哉。(よくやってくだすった)

と言い合ったという。

これほどまでに小役人は嫌われていた、のです。

(2)張詠はその後再び四川の小さな町の知事に任命された。

ここでも、一人の小役人が張詠の命令に逆らったことがあった。

張詠は怒って、その首に罪人にするような首枷をはめてしまったのである。

小役人が

枷即易、脱即難。

枷するはすなわち易きも脱するはすなわち難し。

「カセをはめるのは簡単ですが、カセから逃れようとするとこれは難しいものですな」

と泣き言を言うと、張詠、

脱亦何難。

脱することまた何ぞ難きや。

「カセから逃れることも、どうして難しいことがあろうか!」

と呼ばうと、自ら剣をとって枷のはまった首をずっぱりと斬ってしまった。

首がぽろりととれましたので、カセも外れた。

他の小役人どもは震えあがったのであった。

識者曰く、

若無此等胆決、強横小人、何所不至。

もし此の等の胆決なければ、強横の小人、何の至らざるところあらん。

もしこのようなキモの座った行動に出なければ、強引で横柄な小役人どもは、やらないことがないほどに悪どいことをするものなのである。

と。

(3)さて、小役人どもは言うことを聴くようになった。

ところが、管下に

有殺耕牛逃亡者。

耕牛を殺して逃亡する者あり。

他人の使役している牛を殺して逃げてしまった者があった。

張詠は布令して、自首するように呼びかけた。

数日経っても自首しないので、逃亡者の母親を探し出して拘留し、その旨を布令した。

十日経っても自首しないので、母親を釈放した。代わりに逃亡者の妻を拘留し、その旨を布令した。

二日後、逃亡者は自首してきた。

すると、張詠は

拘母十夜、留妻一宿、倚門之望何疎、結髪之情何厚。

母を拘することは十夜、妻を留むることは一宿、倚門の望は何ぞ疎く、結髪の情けは何ぞ厚き。

「おふくろさんを十日も拘留したのだぞ。それは放っておいて、女房は一晩拘留しただけで自首するとは! 孝行の心はたいへんおろそかで、恋愛の情ばかりが濃いとは、ひととしてあるまじきなり!」

と判決を下して、市場で罪状を読み上げて斬罪に処した。

一県の風紀、ために忠孝に興り、親をないがしろにするものは無くなったという。

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この逃亡者は十何日目か自首を勧める布令に気づいただけ・・・かも知れない・・・、というのは気にしないことにします。「倚門の望」は「戦国策」、「結髪の情」は「文選」に出る古い文学的表現で、前者は「母親が子どもを心配するキモチ」、後者は「夫婦の情」を意味する。詳細は眠いので省略します。

以上の張詠の三話、もとは宋史か名臣言行録あたりに出るものと思うが(張詠は剛直の名臣と評価されているひとなのである)、とりあえず明・馮夢龍「智嚢全集」巻十一によった。

・・・本日ご一緒した巨大先輩、大先輩にはわたくしめのようなどうしようもないのを、自ら剣を取って「ずぱっ」と斬りもせず、よくぞ今までお許しおきくださいました。お礼とお詫びを申し上げます。いろいろと申し訳ございません、申し訳ございません・・・。

 

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