フィールドワーク録18 (起:平成29年1月3日(火))  目次へ  平成28年1月〜12月へ

「憑代」発見!(三重県伊勢市)

1月3日(火) ・・・・・・・・・・・・・

○巣鴨散策

・真性寺地蔵像

同寺は江戸六地蔵の一である。

・巣鴨高岩寺 ・・・ とげぬき地蔵さん、で有名。参拝客多かったので写真撮影できず。

・大正大学サザエ堂

これは昼間なら中に入れてもらえるんです。一見の価値あり。近くに南三陸の「オクトパスくん」(置くと合格くん)の像もあり。

○市ヶ尾横穴墓群 ・・・ そのあと横浜市都筑区へ。

6世紀後半〜7世紀のもの。ただし現在A群は工事中でB群しか見ることができません。中に入れるのもあって、中に入るとあったかかった。墓穴の中からは外の世界がニセモノの世界のように見えた。

○稲荷前古墳群 ・・・ こちらは4世紀後半から6世紀にかけての首長墓とみられる三古墳(前方後方墳・前方後円墳・円墳)とそれより小さな古墳合わせて17個から成る古墳群で、都筑平地をはじめて統一した一族であろうと考えられております。丘陵部の尾根筋だが、ほとんどが住宅地として開発され、現在、16号墳(4世紀の前方後方墳)とこれに附属?する15号・17号墳だけが残され、公園として整備されています。鶴見川を見下ろす「ランドマーク古墳」であること、前方後方墳の数少ない遺例であることなど興味深い。

右側の15・16・17が整備されているんです。16号墳の前方部から後方部を見る。左写真でいえば左から右を見ているのである。

16号墳の上から都筑平野を見下ろす。

 

1月7日(土)〜9日(休)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

種子島調査を敢行。調査結果はおいおい。「ガロー山」「生き人形さま」「犬神使い」など・・・。

○平鍋のガロー山 ・・・ ガローは種子島に170いくつあったそうです。ウタキ、オボツ、ムイドン、天道山などとの類似性を指摘される聖なる森(山の場合も)であるが、タタリが酷いらしい。平鍋ガローは観光案内にも出てくる。ガローの存在は、広田遺跡発掘の際に国分直一大先生が近所の老人に民俗を聴いて、はじめて全国に報告されたという。

○中種子町歴史民俗資料館

○千座の窟屋 ・・・ すばらしいです。

人生観少し変わるかも。

○国指定史跡・広田遺跡(資料館) ・・・ 台風で崩れた海岸から発見された弥生期の墓地。巫祝集団、特に両性具有の巫が発見されたので名高い。貝加工品の出土もすごい多い。

○特務艦志自岐殉難碑

○矢止石

○宇宙科学博物館

○宝満神社 ・・・ 島北の浦田神社の祭神と夫婦神となっており(現在の祭神名はタマヨリヒメ)、赤米を神穀として毎年神田に植え、田植え祭り・稲刈り神事を行っている(対馬の豆酘神社とここが名高い、と赤米館に展示されていた)。神社の神体はラグーン(海残湖)である宝満池。

宝満神社二の鳥居。宝満神社の御田。この森の中の石板に置いた赤米の種子を森のこちら側の御田(舟田といわれる)に蒔いて苗を得る。田植え祭りも豊年祭もここで行うのである。この茂みはガローとはされていないが、ガローの起源を推測させるものであるといわれる。

宝満池。

○茎永十八ガロー ・・・ 雪ん子ガローなど。

雪ん子ガロー遠望。「茎永」の地名は赤米の茎が通常の米より長いのでついた地名というが、タマヨリヒメさま入部のとき、その眷属18柱が茎永の特異な峰に居ついて18ガローとなったという。雪ん子さまは18眷属の中でも筆頭クラスの智慧と美しさにあふれた女性のよし。天和元年(1681)山崩れを起こし、数軒の家を呑み込んで以来、「荒神」として崇められるにいたったという。

○真所八幡宮

○森山ガロー ・・・ 真所八幡の田植え祭りは、最後にこのガローの前で田植え踊り(男のみ)を行い、そのあと左隅の平たん部でナオライと称して村人らがメシを食うそうである。

周囲を一周してみたが、樹々が密生しており、中に入る方法は無さそうだ。

○ドラムエルタン号漂着記念碑(インギー鳥)

明治時代に難破して救助されたイギリス船の船員たちは、お礼に村人たちにニワトリを置いて行った。今もそれが繁殖して、天然記念物インギー鳥となっているのである。

○遠矢碑

○門倉岬・鉄砲伝来紀功碑

岬より見る。この崖下の狭い浜に、1543年ポルトガル船が漂着しておられたのである。なお船には明ひと五峰なる者が乗っていて、彼が筆談で種子島家の役人たちと意思疎通したことになっているが、この五峰は後期倭寇の王直そのひとであるとされ、さらにはじめから鉄砲を売り込もうとしていたようなところもあってほんとに偶然の漂着ということでもなさそう感じ。

○御崎神社

○雄タツ・雌タツ岩 ・・・ 東海岸の「夫婦岩」型岩石。これがあると海人族は祀らないと気が済まないようである。

左がメタツ、右がオタツだそうである。もとこんな岩は無かったのだが、嵐の夜、崖上の家が流され、夫婦が行方不明になった。代わりにこのふたつの岩が、海岸に出現していたのだ、という。

○犬城海岸・馬立の窟屋 ・・・ 海蝕洞穴。近くまでは馬立神社がこの窟屋の中にあったが、今は数百メートル内陸側に移されている。

種子島第十代島主・幡時は犬神使いであった(と、遺跡説明看板に書いてあったんです)。この窟屋で修行中に、姿が見えなくなってしまい、どれだけ探しても見つからなかった。乗馬だけが遺されていたという。

海のかなたのニライカナイに行ったのカモ。

○通信所

○海軍種子島飛行場跡・煙突

○鉄砲館

○月窓亭・生き人形さま ・・・ 月窓亭はもと家老・羽生家の屋敷で、明治期からは種子島家当主が住んだ。今は市の所有でNPOが指定管理者となっているが、生き人形さまも大切にされておられる。司馬遼太郎先生、小泉進次郎先生もお見えになっておられる。

月窓亭に昇る石段。生き人形さまはもと四代将軍家宣公が作らせたということなのですが・・・。

○本源寺・御拝塔(おはと)墓地

○赤尾木城跡・種子島時堯像

赤尾木城あと。土塁が少し遺る。種子島氏が薩摩島津家に属してから、十七世紀に移った城が赤尾木新城である。現在小学校になっている。赤尾木とは「あこう」の木。

○第二十八代横綱・西之海顕彰碑

○安徳橋 ・・・ 安徳さまがしばらく逗留され、ここから薩摩硫黄島に向かわれたという西之表港南部にある橋。

この向こうはもう海岸なのである。

○浦田港 ・・・ 島北端近い良港。浦田神社があるが、この港こそ、安徳さま種子島上陸の地という。

古来よりの良港とのことであるが、季節風激しく港内もそこそこ波はあった。

○浦田神社 ・・・ ウガヤフキアエズの命を祀る。タマヨリヒメを祀る宝満神社が赤米なのに対してこちらは白米を以て斎き祀るのである。境内の平らな巨石・種子蒔き石から稲種を播く行事あり。我が国の稲作はここから始まったともいい、「種子島」のいわれなりと。

宝満神社の神体がおそらく池であるのに対し、浦田神社の神体は裏山の頂にある二つの巨石(夫婦石)であるという。

○天女(あまめ)が倉

○遺跡街道 ・・・ 嶋東の県道沿いに縄文の遺跡がものすごい数ある。

○男滝・女滝

 

1月15日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊豆高原のへんな施設を調査

○少年少女博物館 ・・・ お化け屋敷コワかった。

意外におもしろいのでぜひ一覧されたい。

○彫刻と象牙の博物館 ・・・ 西伊豆にあったころから展示物とこれらを作った人(特にチュウゴクのひと)とこれらを集めたオーナーには感嘆している。親子三代で作る、とか聞くとイヤになってきます。

こんなのが何十作も。象牙がたくさんあったのもあったのでしょうが、数十年前のチャイナの人件費が超絶的に安かった、ということなのでしょう。

○まぼろし博覧会 ・・・ どうしようもない内容であったが「昭和コーナー」だけは懐かしくて涙がにじむところも。B級博物館で名高いが、かなり有名になったので、最近は○本興行が入ってプロデュースしている?

非常に有名な聖徳太子像。このおっさんも「伊勢路の新名所」からこちらに移転していた。

 

1月21日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○都電おもいで車庫(荒川車庫前) ・・・ 都電二両(PCC型、学園電車)が置いてあって、中に簡単な展示など。

これは「学園電車」。昭和37製。

1月22日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○川崎大師平間寺

まだ初詣客で混雑していた。おみくじ良かった。お好み焼き食ったがあまり美味くなくて後悔した。

○浜川崎駅

 

1月28日(日)〜29日(日)・・・・・・・・・・・・・・・

やけくそ的に銚子地方を調査。UFO関係ももう少し掘り下げたかったところだが。

○銚子漁港

25年ぶりぐらいで訪れた。かつを食った記憶があるが、今回は「鯖尽くし」を食う。うっはっは。

○銚子カメラ博物館 ・・・ 個人博物館。すばらしい。社会主義国のカメラが興味を惹いた。

○ヒゲタ醤油史料館 ・・・ ためになりました。「澪つくし」のロケも行われたのである。昭和何年ごろだっけ。「澪つくし」と聞くと「西武ライオンズ」と連想されるなあ。

○高崎藩陣屋跡 ・・・ 銚子は、東回りや利根川物資の取り扱いが増えた享保年間以降、高崎藩の所管となったよし。

戦後の再開発などで旧陣屋跡は正確にはわからなくなっているそうで、この碑のあたりから北西にあったらしい。

○飯沼山円福寺 ・・・ 本堂は観音様を祀る。五重塔あり。また、日本水準点原標あり。

本殿とその前の青銅釈迦牟尼仏。膝と背中に無数の小穴があいているが、銚子空襲の際に機銃掃射を受けた跡とのこと。米軍機はなぜ釈迦牟尼仏に執拗に銃撃を加えたのか。

○銚子ポートタワー

○犬吠埼 ・・・ 銚子から歩いて行ったので疲れた。小川芋銭句碑や尾崎咢堂歌碑など見つけました。そういえばこんなこと書いたこともあったなあ。もう八年も前か・・・というのでご参考までに。→「犬吠石」

霧笛館で霧笛を聞いた。霧鐘の実物もあった。このあたりでカメラが電池切れ。

○満願寺 ・・・ ここも二十年ぶりである。死んだYAと来たのである。

○地球が丸く見える展望台 ・・・ 展示室で「銚子事件」(昭和31年のUFO目撃、異物事件)の特集あり。勉強になる。やはり「うつろ舟」が関係していたか。

○外川港 ・・・ 義経伝説もある。紀州のひとが開いた漁港である。千騎岩などジオパーク関連も。

 

2月5日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○スカイツリー ・・・ 友人を案内して、ついに念願のスカイツリーに昇る。○○と煙なのでしかたないのである。

天気が悪いおかげでしょうか、ほとんど並ばずに上がれた。コワくないような設計にしてくれてあるようなのですが、その分どきどき感が無かった。蝋人形館も無いし。

○国立自然科学館(ラスコー展) ・・・ その後、ひとりで見に行った。

どうしても見たかったわけでもないのだが、人生観替わるといいなあ、と思いつつ。

「クロマニョン人はアフリカからの移民でした・・・」というとってつけたようなキャプション、女性の指導性・・・。フランスから持ってきた展覧会なので、政治的に正しい展覧会なのでしょう。げんなりである。とかいうと「政治的に正しくない」といわれるので口は閉ざさねばなるまい。

通常展の、ものいわぬドウブツたちのように・・・。

2月11日・12日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○桑名散策

・歌行灯句碑

この料亭が泉鏡花「歌行灯」の舞台となった。

・桑名城蟠龍櫓(復興) ・・・ 七里の渡しの浮世絵にいつも一緒に描かれている櫓だそうです。

海から見える方は破風があってかっこいいのですが、裏側(内堀側)から見ると破風も素っ気もない「南蛮づくり」である。

○相差(おうさつ)

・石神さま

・的矢湾

駆逐艦春雨遭難碑から安乗岬を望む。

 

2月18〜19日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○利島調査 ・・・ これで伊豆大島航路の島(大島、利島、新島、式根島、神津島)はすべて訪問したことになります。ずっとなんで「としま」というのか悩んでいたが、「みしま」さまの大噴火しているのが三宅島で、駿河・伊豆方面から「みしま」さまの島にわたる「戸」の島、なのでしょう。

非常に美しい山形であるが、港として適当な入り江が無く、桟橋できる前の苦労は並大抵ではなかったらしい。

・浜宮神社

・八幡神社 ・・・ 正月元旦に行われる歩射「やぶさめ」神事で名高い。銅鏡出土。

神社拝殿。左手の四角い場所がやぶさめ神事を行うところらしい。以前は数十メートル離れた「的場」という場所にあったよし。なお、桶のようなもの(甕、ポリバケツもあった)に数本の枝を挿して、ここから木の幹などを通して雨水を取るのが「集手水」というものだそうです。利島は水に苦しんだそうです。

・天神社 

・長久寺 ・・・ 日蓮宗。明治までは二寺あったが、今はこの寺のみ。

・堂山神社 ・・・ どうのやま。銅鏡出土。

・阿豆佐和気(あずさわけ)命神社 ・・・ ↓の本宮を参拝に便利なように中世期に集落西側に持ってきたものだ、という。銅鏡出土。

・阿豆佐和気命本宮 ・・・ 一番様。延喜式式内。三嶋大神(事代主命)のお子神として、「みしま」である三宅島への取次神であったのであろう。下上御方(おりのぼりのおんかた)さまを后神とする。祠裏手に100mほど昇ると命の古墳(「陵さま」)があるというのだが、足を踏み入れるのも困難であった。

一番様。正月に一番→二番→山頂→三番の順にお参りするんだそうです。

・大山小山(おやまこやま)神社 ・・・ 二番様。山と川の神であるという。

二番様。

・南ケ山園地 

・宮塚山 ・・・ 昇った。下りの方がコワかった。山頂火口(「火事穴」)、山腹火口(「御穴」)あり。

山頂展望台(山頂とは離れている)から集落・港を見下ろす。遠方少し右手に三宅島。大島は左手になる。

・下上神社 ・・・ 三番様。下りのコワい道を降りてきたところにあり。登山の安全を感謝する神である、というのもしかるべし。下上命(おりのぼりのみこと)もともとは噴火口を祀る「島産み神」であり、太陽神でもあったろうというのだが、女神さまとされ、阿豆佐和気命の后神と祀られる。

はっとするほどウタキちっく。畏れ多い感じ。

・利島村郷土資料館 ・・・ 宿のおかみさんから教育長に電話してもらって、日曜日に開けてもらった。充実した展示で、特に出土遺物がすばらしい。また、集手(しで)水のいわれもわかった。唐箕あり。昭和28年安野株式会社(石川)製。

かっこいい出土銅鏡のかずかず。

・大石山遺跡(縄文)、けっけい山遺跡(弥生)という有名遺跡があるのだが、どちらも入り場所がまったくわからんので到達できなかった。

 

2月26日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

那覇市小禄近辺の聖地調べる。(写真その他詳細は爾後)

○住吉神社 ・・・ 薩摩帰りのひとが招来したものであったが、米軍占領期に山ごと削平され、今は近くに移ったもの。付近の拝所を兼ねており、裏手の崖にはガマがあってこのあたりウタキではないかと思うが、確認中。
いちばん奥が住吉社。山下の拝所を兼ねる。裏の崖を昇ると、オイベらしき場所が・・・。小さめのガマもあった。

○金城御嶽

もうちょっとあがっていくとオイベがあった。

○赤嶺御嶽

←カエル?ではなくて立派にシーサーである。→

このシーサーの間を通っていくと、拝所があった。オイベはこのさらに奥の崖地か。

○安次嶺御嶽

火ぬ神さまの拝所。裏の森にオイベあり。

3月5日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鎌ヶ谷帰りに船橋市飛ノ台史跡公園博物館を見学。

飛ノ台史跡は縄文中期の集落遺構で、男女一対の合葬墓(「年齢差はあまりなく、兄妹、同一血族でない場合は夫婦か恋人」と報告されている)や骨折したワンちゃんを老齢になるまで飼って葬っているなどで名高い。「マイホームタウン船橋」にふさわしい遺跡なんですなあ。

遺跡公園入口。この左手に博物館(四階建て)あり。貝塚あと。

3月11日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○讀賣帰りに延喜式内・穴沢天神社に参拝。一昨年以来かな。弁天水も飲ませていただきました。

奥に弁天水の水くみ場所あり。右やや下に隠れたようにみえる鳥居の奥は弁天穴(洞穴)。

○そのあと、渋谷に行って、渋谷選曲団さんの第二十回公演を見物。昭和歌謡曲のDJライブ集団で、涕が出るような選曲もあったぜ。ジャ○ラックに隠れて、都会の闇で生きているのだ。

中央少し左に立っている帽子のおとこがDJHolly氏。

3月18日〜19日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ナゴヤ遠征のついでに半田市を見学。運河と蔵がステキであった。

まずはこれ。JR現存最古の跨線橋。明治30年代のものという。狭くて階段が急でバリアーであるが、むかしのひとは小さかったからなあ。

○入水神社(住吉神社) 

半田は祭りの町でもある。祭りのときにはこの池に舟が浮かぶみたいである。

○新美南吉生家

ごんぎつねの里、でもあるんですなあ。かわいそうなことをしたなあ。

○ミツカン博物館 

ミツカン酢(中埜酢店)の企業城下町でもあるんですなあ。博物館は予約で満員で企画展だけ入れてもらう。江戸早ずしの天保年間の名古屋での開店を特集していて、おもしろかった。

3月20日(月)春分の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お墓参りにも行かずに、江戸探訪

○抜け弁天

○箱根山

○穴八幡

戦後がんがん復興して、いまはこんな立派な建物に。

4月2日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○湯島聖堂に久しぶりで行った。籩・豆・爵の実物や、「宥座の器」などを見てきました。

おごそかなフインキである。

4月8日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○山口観音 ・・・ 狭山丘陵にあります。おいらは西武線観たあとよくお参りしているんです。ありがたいありがたい。
今日は花祭りで「あま茶ご自由にどうぞ」と書いてあま茶があったのだが、飲むための紙コップの箱が開かない仕様でまいった。しようがないのでおキモチだけいただくことにしました。

平安時代に開かれた古刹なのである。

○小手指神社 ・・・ 延喜式内社。現在は北野天神が主神。新田義貞の小手指会戦の際、宗良親王が本陣を置いた場所でもある。

桜の季節に来たのは久しぶりであるなあ。

4月16日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊勢崎市内

〇伊勢崎神社 ・・・ 欄間の浮彫すばらしい。

〇旧時報鐘楼 ・・・ 登れません。

藩政期にも時鐘楼があったよしだが、これは明治期に造られたものを修復したよし。

〇相川考古館 ・・・ 琴を弾くハニワ(→これのモデル。ただし相川考古館のハニワは男性)など所蔵して名高いが、幕末〜明治以来の相川家(金物屋、醤油製造)の所蔵物がオモシロかった。いろいろ教えてもらった。今はパン屋もしているようである。ついでにパンを買う。

昭和20年8月14日の空襲で倉庫等半分焼けたそうであるが、隠居屋などすばらしい建物も遺る。今日は詩仏堂・石川丈山の軸物も見せていただいたのじゃ。
〇町田佳聲生家 ・・・ 日本民謡を独力で取材した。「ちゃっきり節」の作曲者としても名高い。

〇いせさき明治館 ・・・ お医者さんだったみたいですが、今は「伊勢崎銘仙」を展示している。
お医者さんらしく受付もある。50年以上前のものらしいが、デザインすばらしい。

〇華蔵寺公園 ・・・ こちら

5月3日(水)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

憲法記念日なんで、東京・北の丸公園にある国立公文書館で、憲法原本などが展示されているのを見に行く。戦後の大混乱期、食糧メーデーや2・1ゼネストの中、日本国憲法をつくるのにはみんなたいへん苦労したんですね。GHQでさえ苦労していたのがわかります。それから七十年も経ってしまいました。そろそろまた苦労しないと・・・。
国立公文書館さん。入場無料で、今の展示は七日までだが、次の「日本航空史」の展示がまた月末からはじまるらしい。
日本国憲法原本。昭和21年11月3日公布。
こちらは昭和21年1月のいわゆる「人間宣言」の詔書だそうです。

5月4日(木)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明石焼き食って、夜の明石城へ。明日はいずこに流れていくのか。
明石城本丸より明石大橋を望む。左のは巽櫓。公園入口には中部幾次郎(「林兼」大洋漁業創業者)の銅像あり。明石のひとだったんです。

5月5日(金)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

淡路島へ。

・絵島 ・・・ おのころ島ともいわれる。
上まで登れそうなんですが、「崩落注意」で立入禁止。ちなみに海の先には明石大橋や「まつほの浦」があるよ。

・岩屋神社 ・・・ 延喜式内
正面に須磨の海を望む。
・明石・魚の棚
にいたむちゃくちゃかっこいいタコ。

5月6日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇大阪府立近つ飛鳥博物館に行って古墳の勉強をしてきた。近鉄線から遠くてタクシー代かかったが、あんまりおもしろくなかった。

タクシー代〇千円かかって到着。安藤忠雄さんの御設計にかかるもの、とのこと。
ここは太子町です。エントランスに聖徳太子の生涯についてのビデオ(人形劇)あり。そのエントランスから「仁徳天皇陵」ジオラマを見る。
こういうハニワちゃんが大量に並んでいたりしたら案外面白いのですが、全国の古墳についても、ヤマト王統についても、ハニワちゃんについても、とにかく中途半端な感じがしました。

5月7日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日が連休の最後である。三重県の志摩・安乗へ行ってみた。

・志摩国分寺 ・・・ 今も現役のお寺である。応仁の乱で焼け、また天保年間に焼けたので、現在の山門や本殿(瑠璃殿)は天保年間の築造という。
5月8日に「花祭り」するとのことで、露店の準備がなされていた。「花祭り」は旧暦の4月8日なのに近年は新暦でやっているところが多いが、ここは「月後れ」でやっとるわけじゃ。

天保年間再建時のものと思われる欄間の彫刻や天井絵のレベルの高さに驚いた。ここでは紹介しませんが、天上絵の天女のエロ的にもすばらしいのには舌を巻いた。なんまいだ。
・安乗蕪泊艨@・・・ 伊勢湾口部の難所、安乗崎、大王崎、鎧崎の一で、明治期に灯台が置かれたよし。昭和32年、映画「おいら岬」※のロケが行われた地としても名高い。
左端の方に一般の方が映ってしまいました。おいら岬灯台。
伊勢湾方面を望む。左手の陸地は律令期より名高い「わたかのしま」。
※大阪から来たピカピカしたじじいを案内していたタクシー運転手(らしきひと)がこのように紹介していたが、本当は「喜びも悲しみも幾歳月」という題名である、とのこと。

5月13日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

渋谷文化総合センター大和田伝承館にて山崎ハコ「カ・ン・レ・キ・バースディライブ!」を鑑賞申し上げる。
終了後の伝承館ホール。終了後にCDにサイン入れてくれるので順番待ち。平均年齢すごく高く、ライブ中に気分悪くなるひとも出た?

5月21日(日) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

犬山市内を調査。

〇犬山城 ・・・ いまも成瀬家の所有だそうです。税金があれなんだろうかなあ。
木曽川べりてかっこいい。

〇針綱神社 ・・・ 延喜式式内社。もと犬山城の城山にあったが、織田信康公(信長公のオジキに該たるよし)が16世紀前半に城を築く際に城下に移した。明治になって再度、城山の麓に鎮座せられたものであるよし。
針綱神社拝殿。織田信康公奉納という中世の狛犬などで有名。

〇からくり展示館 ・・・ 犬山山車はからくりが呼び物で、その解説・展示など。九代目なんとかさんの高度な技術も紹介。

〇城とまちミュージアム ・・・ 天保期犬山総構えの模型などあり。すばらしい。

これが犬山城下総構え。一番奥の(ちょうどどこかの人が指さしている)丘が犬山城。

〇どんでん館 ・・・ どんでんとは山車の方向をかえる荒作業のことで、ここは山車三台が展示されていた。

カラクリ西王母などもあった。

〇諸鑊神社 ・・・ もろくわ、と読みます。式内社。事代主命を祀る諏訪系の神社である。おそらく原住民を服属せしめた開拓神を祀るのであろう。

清浄な雰囲気の社地である。拝殿前の「藩屏」は尾張地区の神社に多い。

〇大縣神社 ・・・ 式内社。尾張二宮。姫の宮があり、その裏に沈紙占を行う「むすひ池」があるなど縁結びが得意だそうである。姫石おもしろかった。数キロ離れた田縣神社が陽石があってセットになるようであるが、また、大縣の大神の墓が青塚古墳とされ、青塚古墳は神社の飛び地となっているのであるが、あまりに暑いし足も無いので今回はいずれも断念。尾張連らとは別の丹羽の開拓神であるらしい。
拝殿。このころすごくあちかった。姫宮拝殿。この裏に、このむすひ池があった。池の底には三角折りの占紙が大量に沈んでいた。この先を行くと男女の縁結び石、さらに本宮といわれる神体山に登れるらしい。
これは近くにある姫石。なんの形しているのかちら?

5月28日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇出光美術館で「茶の湯のうつわ 和漢の世界」展を見学。いつもながら専門用語が難しい。「一楽 二萩 三唐津」です。
休憩室からの皇居前広場の景観すばらしかった。

茶の関係はやっぱりちょっと難しいですね。

6月4日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鎌ヶ谷から西船橋まで歩いてみる。今日は

〇船橋通信所鉄塔(大正4年(1914)から昭和46年(1971)まで)跡

を見てきました。

大正天皇=米ウイルソン大統領電信会話、関東大震災救難信号、ニイタカヤマノボレ暗号の打電など・・・がここでなされたのである。今だったら「保存、保存、保存ッ〜」と叫ぶやつがいるんだろうなあ。

6月11日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮城県白石市。片倉小十郎の城下町、というと歴女とかには有名らしい。奥羽越列藩同盟が結ばれたとか、世良修蔵がぶっころされたとか、いろいろあります。うーめん美味かった。

白石藩は賊軍だから天守(三階櫓)は解体されてしまいましたが、文化年間に建てられた天守が木造で復元されている。
天守の中。風そうそうと吹き抜けて心地よかった。

天守より城下方面を望む。奥州街道が通っています。左の方の無粋?な建物は白石城ミュージアムで、映画などもやっています。片倉小十郎は初代が伊達政宗の近習で秀吉・家康から敬重され名参謀、二代目が大阪夏の陣で後藤又兵衛を討ち取った「鬼小十郎」、三代目が幕府から奉行に命じられて原田甲斐騒動を収拾した経世家、と代々優秀だったのである。

藩政期以前より信仰されていたという「白石」さま。城内帯曲輪にあり。

ほかにも人形館とか怪しげなのもありました。古墳群もあるらしい。世良修蔵墓も一度見に行きたいが。

7月16日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

観光・観タマ会三重県支部の肝塁斎でごんす。真夏日暑い中、三重県松阪地方にて、古代関係観光実施。写真は肝冷斎方に送りますので、後日アップくだちゃいでごんす。

〇円潟(まとかた)湊あと比定地 ・・・ 持統天皇が三河に向けて旅立った、という伊勢湾西岸の古代港。潟港で平安時代には海との連絡が切れ、港としての機能は失ったらしく、今はただの陸地。
ここに少し湿地が残ってますが、これはおそらく関係なくて、ここより左手の陸地の方に湊があったものらしい。特に碑が立っていたりするわけではありません。左手の石碑は湊には関係なくて、昭和3年にこの海側で飛行機が落ちて殉職した日本電気通信株式会社社員の慰霊碑。

〇松阪市埋蔵物センターはにわ館 ・・・ 宝塚古墳から出てきた船型埴輪、家屋型埴輪など重要文化財が見られます。
有名な船型埴輪。かっこいい。

〇宝塚1号墳・2号墳 ・・・ 国指定史跡である。一号墳の出島状部分から船型埴輪などがぼこぼこ出てきて、ハニワによる古墳時代祭祀の研究に大きな影響を与えたのである。
1
号墳の後円部から前方部を見下ろす。かなたは伊勢湾である。
これは後円部から上の写真の左隅に見える造り出し(出島状部分)を見下ろしたもの。ここに船型やら家型やら多数のハニワが並べられていて、この発掘により古墳祭祀の世界が大きく変わったのである。

このあと観タマへ。

8月19日・・・・・・・・・・・・・・・・・

御親族の方が関東旅行に来たので、だまくらかして北関東の味わい深いところへ連行。

〇岩船山高勝寺 ・・・ 日本三大地蔵の一。春秋彼岸に卒塔婆を持ってきて祀るので先祖崇拝の一形態として有名。三重県の朝熊が岳、青森県の恐山にも類似する。
このすごい石段を昇るのだ。これは本堂ですが、孫太郎山とか奥の院とかいろいろおどろおどろしくてすばらしかった。南無地蔵大菩薩さま、ありがたし。きのこもたくさん生えていた。

8月20日・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤城山へ。式内赤城神社参拝。

〇三夜沢赤城神社 ・・・ 杉の木立すばらしかった。境内に「神代文字碑文」あり。

かなりありがたい雰囲気。神代文字の一種、平田派が喧伝した対馬・阿比留文字が刻まれていた。

〇大洞赤城神社 ・・・ 山頂付近の池の畔にあり。池の鯉がすさまじくでかかった。

そのあと、宇都宮まで行ってぎょうざ食った。ぶひー。

9月2日(土)・・・・・・・・・

〇雑司ヶ谷の鬼子母神さまにおまいりして、おせん団子食ってきた。

シーズン中でもダブルヘッダーしなければこれぐらいのゆとりは作れるのであるが・・・。
おせん団子は、鬼子母神の1,000人の子どもにちなみ、そのうち十人分のかわいい頭を串刺したものだそうです。わたしの虚言ではありませんよ。
境内の600年イチョウ。

9月10日(日)・・・・・・・・・

〇名古屋市博物館 ・・・ 昭和50年代にカネをかけて作ったものと思われた。名古屋市の博物館だが愛知県全体をカバーした展示になっていた(そうしないと「三英傑」が説明できないのだろう)。トイレに行くともう戻れないのが構造的にツラいところ。来週からは「ピーターラビット展」だよ!

外見。表に庭園あり。三階より上は市民ギャラリー。
ノブナガさま像。かっこいい豊田自動織機。かっこいい近代生活。

9月17日(日)・・・・・・・・

台風来つつあるというので雨でしたが、中央区・郷土天文館(夢ドーム)の郷土資料室を見に行った。日本橋土地利用史、佃島白魚漁、長谷川時雨等郷土出身作家の紹介など、充実してました。100円。明治時代後半に製作されたという「紙腔琴」(紙製のオルゴール)の現物があった。さすがのわしも見るのははじめてである。また、本願寺の撮影編集した関東大震災時(及び復興期)の貴重なフィルムを上映していた。

こういう複合施設である。内部は写真撮影禁止。

9月23日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・

〇平塚市立博物館 ・・・ 改装後はじめて来たのかな。相模川流域展示など、充実。

9月24日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・

夕方、野田市散策。いい町だぜ。

〇利根運河 ・・・ 利根川と荒川をつなぐ明治の大事業だったのである。

〇山崎貝塚 ・・・ 国指定史跡。縄文後期のものという。

〇愛宕神社 ・・・ 〽伊勢に七たび、熊野に三度、愛宕さまには月詣り (伊勢音頭)の「愛宕さま」である。下総野田総鎮守、火伏の神として平安時代に勧請されたという。
付近は「猫の街アタゴール」の比定地であるが、それらしいものは何にもなかった。
〇野田市駅

なんだか懐かしいのだが、まだ19時ごろだというのにひとがいない。

駅前に一軒だけあった中華料理屋の「キッコーマンもろみ入りなす丼」美味かった。また食いたいものである。

10月8日(日)〜9日(月)・・・・・・・・・・

平泉・衣川調査を行った。二日目の衣川調査は歴史ふれあい館でもらった地図の不備などでかなり苦しかったがよくやった。

〇平泉

・毛越寺

毎年ここで曲水宴をやるんだそうです。

・観自在王院跡

・金鷄山 ・・・ むかし清衡だか基衡が黄金の雌雄のニワトリを埋めたという伝説の山。麓に義経さま妻子の墓あり。

・平泉遺跡センター ・・・ 平泉の歴史関係の博物館。

・中尊寺

金色堂が一番奥になるようにしてあるんですね。金色堂の内陣の「独自の配列」となっている仏像すばらしい。おいらも黄金の中で浄土行きしたいものである。ミイラになるか否かは別として。

〇衣川

衣川を渉る。ゲンダイの行政区画ではここで平泉町と奥州市が別れることになり、バスの運行路線などの問題があるのである。

・歴史ふれあい館

・長者ヶ原廃寺跡
むかしは金売り吉次の屋敷跡だということになっていたそうですが、ゲンダイでは前九年役でボコられた安倍氏の氏寺の跡地であったと推測されている。

・和我叡登挙(わかえとの)神社、月山神社 ・・・ 和我叡登挙はもと安倍氏の神社と伝えられ、神体は巨石、祭神はアラハバキ神であった。

この鳥居をくぐって神さびた山中に入る。

道や階段がきつくて何度も不整脈状態になったり倒木に邪魔されるトラップなどを乗り越えて山頂部の神社へ。この状況は拝殿(月山神社)を背後にし(さらにその裏に巨石あり)、和我叡登挙神社と思われる社殿(現在では大黒様や人形などが祀られていた)を望んだもの。神威びしびしたるものがあって、夜中に来たりしたら一夜で白髪になるかも知れないぐらいである。

・衣川関跡

10月15日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨降って大学野球も中止なんで、また野田市調査。(写真は後日)

〇野田市郷土博物館 ・・・ 逓信省技官、戦後の京都タワー、武道館などの設計で名高い山田守の設計になる。樋口清之監修の博物館で、ちょうど「鉄道と野田」という特別展を開催中。これはよくできておりました。大正末年の旧茂木佐平治邸(野田市市民会館)が併設されており、大林宣彦作品のロケ地にもなっておるということで、これもなかなかすばらしい。

左が郷土博物館、右の方の黒っぽいのが旧茂木佐平治邸。

郷土博物館内部。山田の工夫した校倉造り風建築である。

茂木佐平治邸内部の廊下。茂木邸中庭。

〇愛宕神社 ・・・ この間は夜でしたので、欄間等の彫刻がよく見えなかったが、上州花輪の名工・石原常八の見事なやつで名高い。

欄間彫刻は現物を見に行ってください。

〇特許・太郎焼き ・・・ 大判焼きであろうと思われた。しかし特許とは。

〇香取神社

〇野田貝塚 ・・・ 清水公園にあり。昭和初期に発掘され、人骨を含め多くの出土物は町内のどこかに埋め直され、いまは行方不明だという。

南関東の縄文後期・晩期に共通の馬蹄形貝塚、ということです。

〇国指定名勝けやき並木、キッコーマンれんが倉庫

れんが倉庫。現在は見学不可となっております。

茂木本家美術館は予約がいるとのこと、上花輪の歴史館は15時までに入館手続きが必要とのことで今回は入れてもらえず。しかし「また野田に来る理由ができてよかった」と思っております。

10月21日(土)・・・・・・・・・・・・・・

廣島へ野球観戦に向かい、そのまま一泊して岡山あたりを調べようと思ったのだが・・・

、観タマは雨天中止の上、台風21号が近づいているというので、泣く泣く東京に日帰りで帰還。

行きがけの駄賃的に以下を見学。

〇縮景園 ・・・ 廣島浅野家の庭園。大名庭園の代表作と言われる。昭和20年の原爆被害で建造物類は焼失したが、跨虹橋などの石造物は遺り、1970年代に再建された。なお、園内からは昭和62年になって60数体の被爆者の遺体が発見されたりしています。

何度も表通っているのですが、入ったことなかったんで入園。紅葉のころは本当に美しいであろうと思われた。

こうやって築山(富士山の見立て)見るとほんとに「縮景園」である。日本か、瀬戸内海かの縮景になっているのである。昔はここから瀬戸内海、宮島まで借景として見晴るかせたという。

〇廣島県立美術館 ・・・ 縮景園側からも入れる。高い入場料の特別展もやっていましたが、常設展扱いの児玉希望展がすばらしかった。

なお、朝の新幹線で

しうまい弁当、昼に広島駅にて、スペシャルお好み焼きネギ乗せ、帰りの新幹線で大関たわらむすび弁当、である。カロリー過多である。

10月22日(日)・・・・・・・・・・・・・・

〇三井記念美術館で「特別展 驚異の超絶技巧 明治工芸から現代アートへ」を見てきました。技巧がすばらしい分、明治の帝室技芸員がどれぐらいの報酬を得ていたのか、ゲンダイの超絶アーティストのひとたちにはどうやって生活していってもらえばいいのか、悩ましかった。

12月3日まで。必見。1300円。

〇そのあと、国立公文書館で「日本デンマーク外交関係樹立150年記念展」を見ました。明治の初めにデンマークのクリスチャン9世に贈られた勲章の七宝焼すばらしい。

11月5日まで。勉強になりますよ。無料。

そのあと、葛西臨海公園に行って、台風接近して荒れ狂う海を見たかった・・・のだが、まだ平穏な海でした。

10月28日(土)・29日(日)・・・・・・・・・・・・・・

宮崎でフェニックスリーグを見ようと飛行機に乗ったのに、台風接近で宮崎空港に降りられず福岡空港へ。日本シリーズでも見てくか、と当日券(キャンセル券)の列に並んでみたがキャンセル無し、とのことでしようがないので観光して帰ってきました。先週に引き続き今週も野球観ようとして裏目に出たのである。人生また裏目か・・・。

〇王貞治ベースボールミュージアム ・・・ ヤフオクドーム内にあります。

これが入り口。

スタジアム内が見える。ちょうどホークスの選手が練習していました。17時で閉じるので試合を観ていくことはできません。

展示品の中には、なんと王さんの使っていた「圧縮バット」もあった。隠そうとはしていないようである。これに対し、福岡のひとびとが、ホークス監督時代の王さんを「敗戦病原菌O−89」と呼び、生タマゴをぶつけた、という歴史的事実は完全に封じ込まれていた。

〇福岡アジア美術館 ・・・ タイのホトケさまの画、すばらしいです。現代美術だよ。

エロもある。

〇住吉神社

〇宗像大社 ・・・ 辺津宮に参詣。福岡時代から断続的にお願いしております交通安全祈願する。

雨も止み、ちょうど天皇皇后両陛下の行幸があり、大社前で地元のみなさんと一緒にお出迎えさせていただく。すごい得した気分。

〇各種食い物 ・・・いか活造り、折尾名物かしわめしなど

イカです。後づくりは天ぷらにしてもらった。うまかった。思い出すとハラが減ります。

11月5日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上野国新田荘→さきたま古墳へ。

〇世良田東照宮 ・・・ 徳川家の故地ということになっております。

本来、われら一般人民はここまでしか入れなかったらしいのですが。
修復等は利根川の向こう側にあたる忍藩が担当していたようである。すばらしい拝殿である。

〇新田荘歴史資料館(旧東毛歴史資料館)

ここで新田荘の勉強した。今回は他の遺跡回れないので、今度もっとゆっくり来なければ。ちなみに平成3年の「太平記」の関係展示もあり、「宮沢りえ、後藤久美子など話題のスターたちが競演・・・」と記されていました。ああ、今を去ること三十年、国にまだ夢あふれ喜び満ちていたころを思い出して、ぶた肝冷斎の目にさえ涙のにじんだのも致し方あるまい。

〇朝子塚(ちょうしづか)古墳 ・・・ 利根川水運と関係あると思うのですが、現在の利根川からはだいぶん離れている。

この写真ではもちろんわかりませんが、後円部が低くて細長く、たいへん「優美なすがた」をした前方後円墳である。

〇行田・地蔵塚古墳 ・・・ 七世紀の終末期方墳。

横穴部は閉ざされておりますが、武蔵国では珍しい壁画があるとのこと。墳上には地蔵堂あり。海外のひとと思われるカップルが自撮りしてますね。

11月18日・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡本全勝さんのHPで紹介されてて、見たかったので上野に行きました。

〇東京芸術大学大学美術館 東京芸術大学創立130周年記念特別展「皇室の彩」

東京芸大学長として三十年以上君臨した正木直彦の紹介年譜の最後にわざわざ「東アジアの人々と文化に深い敬意を持っていた」と書いてあって、昭和10年代に対支文化委員をしていたときのことを主催者が気にしている?のだと思われました。皇室献上品の蒔絵の技術はすばらしかった。

・・・のだが、見終わって出てきてアンケート書いていたら最後にNHKの受信料についてどう思いますか、という問いがあって、選択肢は1無条件に受信料払う、2条件はあるけど払う、3その他、というのしかないんで、なんだこりゃ、とよくよくチケットを見たら、なんと東京芸大とNHKの共催事業でした。激烈に受信料制度とNHKへの批判を書いてきてあげましたが、抵抗にさえならないのだろうなあ。

これです。

〇国立科学博物館古代アンデス文明展

近代西洋美術館に行こうと思ったんですが、チケット売り場に長い列があったので、科博に行ってしまいました。アンデスミイラちゃんとかあってオモシロかった。

有名なインカの「キープ」(縄を結んで数字等を表わす情報伝達・保存方法)。ほかにもミイラ写真とか撮ったけどアップはしないでおきます。

11月19日・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し時間的余裕があったので川越に行ってきました。

〇山崎美術館 ・・・ 山崎さんはもともと江戸時代以来のお菓子屋さんだそうですが、七代目が川越藩お抱え絵師から帝室技芸員になった「明治日本画界の父」橋本雅邦を支援する「画宝会」を興し、雅邦らの絵を集めて子孫に遺しましたので、昭和57年から美術館を作って展示している。

川越の時鐘楼。修復工事終わったみたいで茶色くなっていました。

11月24日〜12月1日・・・・・・・・・・・

墨西哥国秘密探偵行秘密報告書

 

12月2日・・・・・・・・・・・・・・・・

〇国立公文書館 ・・・ 「江戸の花だより」展を観覧。

江戸の色使いはすばらしい。

〇東京駅ステーションミュージアム ・・・ シャガール展を観覧す。シャガールが97歳まで生きていたこと、ロシア革命政府に参加し、革命政府の変質を察知してフランスに戻ったことを知りました。

12月3日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇八王子夢美術館にて、「没後30年 銅板画家 清原啓子」展を観覧。久生十蘭の文庫本の表紙の絵の人、といえば一番わかりやすいでしょうか。とにかく細かい銅板版画なので一年に一作とか二作しか作れず、しかも銅板製作はじめてから十年足らずで死んでしまわれたので、遺作は多摩美の学生時代の作品含めても30作しかないんだそうですが、わたくしなど20世紀世紀末に生きたものにとっては、大きな影響を与えたのであった。

八王子市制100周年記念事業だそうです。100年というのもすごいですね。

〇そのあと、荻窪・太田黒公園で紅葉のライトアップ見て帰ってきました。寒くなってきますたね。

12月9日・10日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

奥州一之宮・都々古別(つつこわけ)神社三連発を敢行。(識者より茨城県の「下野(しもの)都々古別神社」を調査していないとの指摘あり。次回行きます)

〇郡山市文学資料館 ・・・ 久米正雄とか中条(宮本)百合子など。安積高校からは芥川賞作家が三人も輩出されたのである。

〇郡山総産土・阿邪訶根(あさかね)神社 ・・・ 郡山駅の近くにあり。伊勢国・阿坂神社を招請したもの。

〇石都々古別(いわつつこわけ)神社 ・・・ 石川にあり。古くからの修験場で、磐境(いわさか)となっている。中世石川氏の山城・三葭城としても名高い。パワースポットとしては、少し整備され過ぎている感じがしましたが。

石段昇ってやっと本殿に。他にもたくさん巨石があるのですが、これは勾玉石。
祠の後ろにあるのが剣石。鏡石。これで三種の神器がそろう、という。

〇石川歴史資料館 ・・・ 鉱物標本多い。トルマリンとか雲母石とか。石川周辺では、1944年から、原爆開発のためのウラン選鉱も行われたいた。

〇磐城棚倉城 ・・・ もと佐竹氏の城で、立花宗茂が入城。さらに17世紀に丹羽長重により整備され、以後、奥州の押さえに譜代大名が続々と交代して入った。現在は内堀と本丸が遺る。

本丸を望む。四角い形の平城で、四隅に二重櫓があったため、「亀が城」というんだそうです。

〇馬場都々古別神社 ・・・ もと棚倉城の南門前にあり当時「近津明神」と称されていたそうであるが、丹羽長重が移転した。本殿は佐竹時代のもので国指定重要文化財。なお、神社裏手は馬場古墳。

明治はじめに会津藩元家老・西郷頼母(姿三四郎の養父だかにも当たる)が神主として赴任していたよし。

国指定重要文化財である。

〇八槻(やつき)都々古別神社 ・・・ ここは久慈川の河川港だったので、都々古別の入り口に当たったのではなかろうか。

縁日やってました。奥州一之宮の扁額あり。

〇木の博物館 ・・・ 天領であった塙にあった。

500円は高い気もするが一見の価値はあります。和合神社もあるし。

12月16日 ・・・・・・・・・・・・・・・・

品川→大森へ東海道を散策する。

〇鯨塚 ・・・ 江戸時代に打ち上げられたクジラの骨を埋めたよし。

〇品川寺

品川地蔵。江戸六地蔵の一なり。品川寺梵鐘。奥の方に菩薩立像+シカ+イヌ像が少し見えます。

〇千体荒神王 ・・・ 水と火と料理の守護神なるよし。

天上絵などがスバラシイ。

〇浜川砲台

幕末土佐藩の受け持ちだそうです。このため大森に「坂本龍馬像」がある。

〇海晏寺 ・・・ 「江戸名所図会」によれば紅葉の名所であったそうです。春秋庵白雄の墓あり。ほかにも松平春嶽などの墓もあるそうですが。

〇鈴ヶ森刑場跡 ・・・ 写真撮ったけど何か写っているとイヤなのでアップしませんでぶー。

〇大森海苔のふるさと館 ・・・ 昭和37年に漁業権消失。

一階エントランス、二階展示、ともになかなか見ごたえあった。累積入場者数70万人を数えるとのこと。無料なんでみなさんも行ってみては如何か。

〇磐井八幡神社 ・・・ 式内。武蔵八幡総社。むかしはここまで海だったんだそうです。

12月17日 ・・・・・・・・・・・・・

〇加曾利貝塚・加曾利貝塚博物館・・・縄文早期から晩期に及ぶ巨大貝塚遺跡。昭和39年、文化財保護の象徴的遺跡として、千葉市が全域買収。爾来50数年を経て、去る10月、国指定遺跡となった。

博物館ハザード。白イヌの「かそりーぬ」がイメージキャラ。

かっこいい縄文土器の数々。加曾利B地点と加曾利E地点の出土土器は型式標識にもなっている。

ステキな土偶ちゃんの数々。山形土偶(頭がおにぎりみたいになっているやつ)とミミズク型土偶は出土。このほか人骨クンもあったが写真アップせず。人骨マニア系のひとは自分で見に行こう。

〇千葉神社

〇千葉市美術館 ・・・ 日本画壇の悪魔派、北野恒富展。

菊正宗のポスターなどで名高い、大正〜昭和前期の大阪の美人画師。かっこいいぜ。

〇寒川神社 ・・・ 延喜式式内。論社あり。

寒かった。「寒川」は相模の「寒川」(すなわち「相模」の語源である)と同じなのであろう。

千葉の駅弁・万葉軒の本店見つけた! イートインも出来た。

12月23日 ・・・・・・・・・・・・

〇天皇誕生日一般参賀 ・・・ 毎年天気いいんです。

震災から毎年来ているんですが、どんどん人が増えてきます。

〇国立近代美術館「熊谷守一展 生きるよろこび」 ・・・ 六十過ぎてからこんなに変われるとは。

このネコちゃんなんか九十歳ぐらいの絵ですよ。

12月24日 ・・・・・・・・・・・・

〇土浦城・土浦市博物館

有名な太鼓櫓。東櫓・西櫓(キティ台風で崩壊)は復元ですが、これだけは現存。しかも十七世紀前半のもの。

〇土浦市・上高津貝塚ふるさと歴史の広場

出土物すばらしかった。展示館のほか、住居跡などかなり広い。

〇石岡市・常陸風土記の丘 ・・・ 古代工房遺跡である「鹿子遺跡」を復元。その近くに縄文〜近世の復元住宅公園を設けたものであった。民家園的だったので、ちょっとがっかり。

鹿子遺跡はおもしろいが。

〇染谷・佐志能神社 ・・・ 竜神山の南側。かなり昇ったところにある。高おかみを祀る。延喜式内・佐志能神社の論社。

右端が拝殿。かなり石段昇って息キレる。左側の岩が屏風岩。風穴という「穴」があって、これに指を突っ込むと次に雷鳴あるまで抜けない、ということであったが、どれがその穴かは不明。おそらく古代磐座(いわくら)崇拝の名残であろう。

〇村上・佐志能神社 ・・・ 竜神山の北東側。暗おかみを祀る。裏から山に昇れるようだが、不入っぽい雰囲気。

不思議な穏やかさのある神社でした。泉あり。裏手の森はかなりウタキチック。

〇波切岩

〇常陸国分尼寺跡

夕陽を見ながら本読んでいる小学生とかいた。

〇舟塚山古墳、愛宕山古墳 ・・・ 霞ヶ浦北畔の舟塚古墳群にある巨大古墳。いずれも前方後円墳で、五世紀後半の舟塚は150メートル級、六世紀前半の愛宕山は100メートル級。

舟塚山古墳。鹿島神社の拝殿脇を昇ると後円部に出る。この写真は前方部(西の方)を見下ろしたもの。とにかくでかい。陪塚から剣とか短甲とか盾が出ている。

愛宕山古墳。前方部から後円部(北の方)を見上げたもの。

愛宕山古墳から舟塚山方面を見る。中央の木の集まりのすぐ右ぐらいに舟塚山古墳が見えていた。それにしても、夕日が沈むんで一晩すると、当たり前のようにまた明日の朝が来るんだなあ。イヤだなあ。

12月30日 ・・・・・・・・・・・・・・・

ふじみ野市水子貝塚

紀元前6千年紀に古入間湾岸に営まれた住居(貝塚)跡地である。

 

次へ