沖縄観光記11 (起:平成25年6月1日(土))  目次へ  平成25年5月へ

「本当のこと」が見えてきました!
・・・なわけないか。対じゃいあん戦に日夜消耗中。

1日

昨日から福岡に入っております。本日は「日本四所」の一、

○香椎宮 

に参拝。

・綾杉

・軍艦香椎の碑 ・・・ 昭和20年1月、インドシナ沖にて轟沈さる。船首棒立ちになるもなお対空火砲を撃ち続けたという。

・武内神社

・古宮 ・・・ 仲哀天皇大本営の場と伝わる。仲哀帝の「沙庭」(さにわ)の跡でもあるといい、帝崩御の後、神功皇后が帝の棺を懸けてその前で廟議を開いたという「棺懸けの椎」あり。また、昭和三十三年の「皇太子御手植えの松」あり。

・武内屋敷跡地 ・・・ ほんとに武内さんが住んでいるので驚いた。

・不老水 ・・・ 日本三泉の一、また昭和60年に名水百選に指定されている。武内宿祢はこの水を飲んで300歳まで生きたのであるという。

やっぱり本土は寒いですね。

2日

本日は宇美町へ。

○宇美八幡神社 ・・・ 安産、子育ての神社として名高く、今日も妊婦さんやらコドモ連れやらたくさんいました。神功皇后が新羅征伐の後、応神天皇をお産みになられたのがこの地である、それで「うみ」というのである、ということになっている。実際には、ここは「魏志倭人伝」の「不彌」(ふみ)国に比定されており、三世紀には開発されていた古い「クニ」である。※

八幡社内に「産湯の泉」あり。社殿の西側に衣懸(きぬかけ)の森、東側に湯蓋(ゆふた)の森、と称するクスノキの巨木あり。神威あらたかである。

←衣懸の森・湯蓋の森→

ところで、この八幡社の北方数百メートルの宇美川を渡った向こう側の丘陵に「古宮」あり。奥の宮の形をとっているが、ここに「神陵古墳群」といわれる円墳群あり。四〜五世紀のものという。

おお。これで、拝井泉(がー)、森(むい)、祖霊神の墓地(うたき)、その礼拝所である聖域(うがんじょ)と揃いました。沖縄神道の祖形とほぼ同じシステムになっていますよー。

←この「子安の石」を一つ借りて、腹帯に入れておくと安産なんだそうです。コドモが大きくなったら返しに来るのだそうだ。

○光正寺古墳 ・・・ 3〜4世紀のでかい前方後円墳。復元せられている。

○宇美歴史民俗資料館 ・・・ 無料。よかった。

※「魏志」によると、対馬・壱岐を経て、「末廬(まつろ)」国(松浦地方か)→「伊都(いと)」国(糸島半島)→「奴(な)」国(博多)と西から東に来て、東南に進んで「不彌(ふみ)」国、そこから南に進んで「投馬(とうま)」国、そこから水行やら陸行やらして「邪馬台国」という順番になっております。

8日

今日は首里城周辺を散策。

○玉陵 ・・・ 10年振りぐらいでしょうか。

←玉陵(たまうどぅん)。左の方(西側)の墓域に歴代の王・王妃、右の方(東側)の墓域に王族の洗骨後の棺が置かれている。ただし、写真は西側半分しか撮れてないので、東側の墓域の入口は写っていない。真ん中あたりの円柱みたいなのの右側の扉の奥には洗骨前の葬所があるが、そこには現在、なぞの棺(洗骨された骨の収められたもの)が一つだけ入っているよし。また、西側の歴代王の棺には、なぜか薩摩入り以降の王は「王」と書かれているが、それ以前の王は「公」と書かれているよし。(・・・だって、それ以前は自称は「よのぬし」ですからね。「よのぬし」(世の主)を漢字で表せば「公」だったんでしょう。それ以降、いろいろ必要があって「王」であると内外に宣伝しなければならなくなったので。)

○龍潭 ・・・ でかいあひる多し。人を怖れぬ。

○旧日本軍32軍司令部壕跡 ・・・ 大アカギが戦火で焼かれて幹だけになったのだが、それにアコウが寄生して、まるで大木のようになっているのがあった。

○弁財天堂、天女橋

←龍潭池に浮かぶ弁天堂と天女橋。

○円覚寺跡

9日

つらいしごとが夕方から・・・。とにかくそれまでに少しでもフィールドワークしようと、午前中から南城の佐敷・猿人の湯に入り、その後「場天御嶽」を調査。1959年の台風で崩れた附近の拝所も集めて、「威部の森」と称して、場天御嶽の威部、天竺神、伊平屋神さまなどの聖所もあり。夕方以降来て一人で放っておかれたらおそらく翌朝までに白髪となり正気喪う感じの霊威びしびしたる場であった。

←こんなところ。

15日

明日の日曜日に入っていたしごとを別の人にお願いしてしまったので、今日明日がフィールドワークになりました。なので、

粟国島フィールドワーク実施中。

東恩納寛惇先生の「南島風土記」によれば、「粟国」はもと琉球王府の外交文書集「歴代宝案」中に「唖哇群尼」とあり、「あわぐに」と訓じたとのこと。「粟島」と記した文献もあるよし。現在一村一島の人口800人ほどの小さな島であるが、昭和10年の調べでは「人口約3万」であったという(←「南島風土記」の記述による。わたしは「約3千」の誤りではないかと思うのだが・・・)。

○マハナ(筆の先)展望台(番所原) ・・・ とにかく暑かった。電動自転車借りたけど日射病ですわー。マハナ展望台は景観よし。毛虫多いのには辟易。

渡名喜島がよく見える。渡名喜の島建て伝説に登場する「イサージ」がこの「筆の先」の北側海岸から南下したよし。「イサージ」はおそらく「伊佐の按司」であろう。

←左手にある展望台から久米、渡名喜、慶良間諸島がよく見えた。ただし展望台内は毛虫大量発生中。

○番所跡 ・・・ 冊封船や異国船を見張っておったということである。

○松尾御嶽 ・・・ 拝所あり。人里離れており、深夜に行ったら白髪化。

 「琉球国由来記」の シマイ御嶽 神名:アカラヅカサ  であろう。

○字・西の御願所 ・・・ 粟国には、西、東、浜の三集落あり。西の集落の外れにある御嶽。植生がすごくて県の天然記念物となっている。拝所施設が三か所にあるが、さらに森は奥深く、迷い込んだら白髪化。

 「琉球国由来記」の 八重の御イベ 神名:マキヨツカサ ではないかと思うのですが・・・。

○大正池公園 ・・・ 水不足に悩んでいた粟国では、石水甕などで対応していたが、大正天皇ご即位を記念して、大正池を掘った。平成14年に公園化したのが大正池公園である。ただし、昼なお暗い森の中によどむ池がいくつかある状態となっており、コワい。これも夜なら白髪化。

○洞寺(テラ) ・・・ 粟国島に名高い聖地。首里から流されてきた雲水和尚というひとが籠った鍾乳洞で、いまもその和尚の頭骨が納められている、という。ただ、沖縄の「テラ」ですから、おそらく風葬墓であったのであろう。現在、周遊のための階段もつけられ、幻想的な照明もついております。外はくそ暑いのに魔法の世界のようにひんやりしていた。感動します。ただし人里離れており、夜間に行ったら白髪となるのは確実。

←洞内から洞口を見上げる。

 「琉球国由来記」の テラチ御嶽 神名:目眉清良ツカサ 

○むんじゅる節記念公園 ・・・ 洞寺に隣接してあり。「むんじゅる」は「むぎわら」のことだそうだが、むんじゅるの笠をかぶった島のみやらびを称賛する粟国民謡が「むんじゅる節」である。明日(6月16日)は「むんじゅる節の日」で、夜までいれば大会が見られるらしい。

○観音堂 ・・・ くわんぬるさま。祀られているのは「キリク」の梵字を記した板碑である。1687年のものということで、沖縄最古の梵字碑なりという。

←観音堂ですが鳥居が立っています。

総じて拝所の多い島である。毛虫も多い。ネコはいるがイヌは今日は見かけなかった。ひとはすばらしい。

16日

引き続き粟国島フィールドワーク。

本日は島の東半分を回る。こちらはアップダウンが少ないので通常の自転車でも楽チン。

おこ(奥)の御嶽 ・・・ 鬱蒼たる神杜の中にある岩陰の洞穴なり。さすがに洞穴までよう入りませんでした。神威びしびしたり。

 「琉球国由来記」の ヲコノ御嶽  神名:テヨイコモラジ 

おこの中御嶽 ・・・ モンパの木よりなる防風林の中にあり。

 「琉球国由来記」の (ヲコノ御嶽)同中ノ御嶽  神名:若ツカサ

おこの南御嶽 ・・・ 奇石ありて祀る。

 「琉球国由来記」の (ヲコノ御嶽)同ハイノ御嶽  神名:タケノコモラジ

  

↑左から、をこの御嶽、中の御嶽、南の御嶽。

長浜ビーチ

照喜名原砂丘遺物散布地

粟国ふるさと資料館 ・・・ 公民館の中にあり。トゥージ(石製の水槽)の屋外展示あり。どこの家にも同じものがあるので、つい最近まで(海水淡水化施設ができるまで)使っていたことが判明する。

←トゥージ。今は水草用水槽に使われておった。

粟国には九嶽五殿がある、ということであるが、ウタキは六つまでは確認できた・・・と思います。

17日

うろうろと、安謝と浦添の間あたりの夕暮。

←気味悪いぐらい美しい。ずっと沖縄にいたいでちゅう。

22日

夜のしごとの前に少しでもフィールドワークを・・・。

と思いまして、うるま市の伊波グスクと、その支城とみなされている安慶名、兼箇段、喜屋武、具志川のグスクを調査(←みなさん、全部読めましたか?)。

安慶名城 ・・・ 闘牛場裏にあり。

←闘牛場側から見上げる。この頂上が主郭部分。

丘上の主郭に入るには険しい石段を昇り、さらに三角形をした石の城門をくぐらねばならない。城門の前にはなぜか麻雀パイの「南」が三枚落ちていた。城門をくぐると、炎天下に無数の蝶が飛び立ち、ここが聖域であることを告げた。

←中央部の三角形の隙間を通って主郭に入る。セイファ御嶽(三庫裡)、久米のミーフーガなどみんな同じ形。

拝所もあったが、さらに主郭の奥の郭に入ってみる。ここも無数の蝶。そして、タンパク質の腐敗臭(垢の臭いに近い。おおかた小動物がそのあたりに死んでいるのであろう)。

←主郭より北方を望む。

霊威びしびしたるグスク跡を実感。玉城のグスクにはじめて行ったときのような感動がありました。

降りてくる石段の途中で捻挫、落下。切り傷を負い、血だるま鬼の助になって公園まで降り、水場で血を洗う。入ってはならないところに入ってしまったのかも知れぬ。

兼箇段城 ・・・ あちこち痛いがとにかく探検。拝所はすぐ見つかった。その先の聖所(おそらく御嶽空間)にも入ってしまう。すごくこわくなって帰ってきました。このあたりから足の痛み甚だしくなった。

喜屋武城 ・・・ 今は喜屋武マーブ公園として整備されており、城跡、あるいはウタキらしきものを想像させる場所はほぼ無し。一番奥の展望台脇の茂みがちょっと怪しかったが、足が痛いのでそこまでは断念。

具志川城 ・・・ 海岸にある岩丘で、すぐに発見できたが、入口はわからず。海側に回って、具志川ビーチから写真を撮って引き上げる。

←具志川グスク遠望。確かに久米の具志川、糸満の具志川、みんな同じ地形だ・・・。

うるま市立石川歴史民俗資料館 ・・・ 戦後の収容所、沖縄諮詢会(←収容所に置かれた沖縄住民の代表会議)、小那覇ブーテン資料などを観覧。伊波グスクについて基礎的知識を得た。

伊波ヌール墓 ・・・ 首里王府より任命された伊波ノロ(ヌール)を葬った、という古墓。調査では15の石甕に2体分の骨が見つかったよし。なぜ2体? なぜ15甕に分けた? など考え始めるとコワいが、このあたり足を引きずっていて、コワくても急には戻れず。

伊波グスク ・・・ 14世紀はじめごろ、北山を追われた北山王統の関係者が拠った城とされるが、グスク域には約3000年前の貝塚遺跡もあり、古くからの住居跡であるらしい。14世紀にこの城に拠った勢力は、西に山田グスク、東に安慶名、知花、兼箇段、喜屋武、具志川などの諸グスクを配して、沖縄本島で一番東西の短いこの地域の陸路と金武湾の航路を支配したのではないかと考えられる(伊波普猷先生の説)。

グスク跡からは東と西の海が見え、その地政学的重要性を視認できたのであった。

←入口。鳥居があると何故か安心する。ちなみにこのころ足激しく痛かった。

←フィールドワーカー魂で石段を昇る。主郭内部。

23日

昨日の夜から今日の午後までシゴト。足痛い。

夕方、国立劇場おきなわにて「組踊復活公演・高那敵討」を鑑賞す。話がわかること(字幕も出るし)、古典音楽が心地よく、音曲がはじまるたびに眠ってしまうこと、を発見。

←組踊劇場外観。

27日

ついに逃げた! 平日なのに、黒潮北上中。

←北上すると梅雨前線があるはず・・・。ただし、この写真の水平線上にうっすら見えるのは沖縄本島中部。

←日も暮れてまいりました。奄美・名瀬に寄港。真ん中あたりに立神岩あり。

28日

今日も北上中。志布志を過ぎてから本格的に梅雨前線に突入。

29日

また沖縄に逆戻り。

30日

今月は今日で終わり。そして、沖縄でのフィールドワークも弾圧により今日が最後になりそう・・・。

ということで、高校野球県予選も観ずに本日もフィールドワークに。

○万座毛

←万人の座れる毛(もう。本土方言の「の」)なので万座毛というんだそうです。

○ウドゥイガマ

祭礼時に奉納する踊りを村人が練習するためのガマなので「踊りガマ」(うどぅいガマ)というそうです。おそらくもとは恩納の村の聖地で「テラ」だったのであろう。

←炎天の中、さわやかなガマの中。外はもう海岸。波の音が聞こえる。

○恩納なび生誕地

○カンジャガー

○恩納神アサギ・根神火神

○恩納祝女殿内

○恩納松下(恩納なび琉歌碑)・恩納番所跡

の後、宜野湾の大リゾートホテルたるラグナガーデンホテルのプールサイドにて古い知り合いのみなさまとBBQ。食い過ぎ

 

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