令和2年8月13日(木)  目次へ  前回に戻る

泣き虫で陰気なカミナリちゃんも、ヘソをもらうと陽気になるのである。

今日は都心部ではカミナリがゴロゴロすごかったです。おいらコドモだからコワかったなあ。

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しかし、カミナリがゴロゴロと音を立てているうちは危険ではないんです。音を立てるのは「陽雷」で、

無声者曰陰雷。陽雷以生、陰雷以殺。

声無きものを「陰雷」と曰う。陽雷は生を以てし、陰雷は殺を以てす。

音を立てないカミナリを「陰雷」という。「陽雷」は生命を生じさせる(エネルギーを地上に落とす)ものであるが、「陰雷」は生きるモノを殺すはたらきしかない。

生命を生じさせるのは天地の道であり、「陽雷」はそのために落ちるのだが、それでは「陰雷」は何のために落ちるのであろうか。

有受害者訴于神、其仇讎忽震以死。

害を受くる者の、神に訴えて、その仇讎たちまち震して以て死する有り。

何かの被害者(の霊魂)が、神さまに訴え出て、その加害者が突然カミナリに撃たれて死ぬことがある。

この「復讐」が「陰雷」のはたらきなのじゃ。

人皆弗聞也者、頂有一孔、気出若硫黄、背篆書数行莫可弁。

人みな聞かざるや、頂きに一孔有りて、気の硫黄のごとき出で、背に篆書数行の弁ずべきなし。

みなさんも聴いたことがあると思いますが、カミナリに撃たれたひとの亡骸で、アタマのてっぺんに穴が一つ開いていて、そこから硫黄のような臭いの気体が出ている。背中には、古代の文字のような字が数行書かれているのだが、誰にも読むことができない、というのが時おりある。

これが「陰雷」にやられた者の典型例である。なんで「篆書」とわかるのか、という疑問は残りますが、本来はここにその人が何を仕出かしたのでこのような罰を受けたか、という判決文に当たるものが書かれていて、それを見たひとびとに「そういうことをしてはいけないのだな」と思わせる効果があった・・・のだろうと思うのですが、誰にも読めなくては一般教育刑理論というんでしたっけ、そんな効果はありません。

結論として、

蓋陽雷在天、陰雷在人。陰雷之出無時、人実為之。

蓋し、陽雷は天に在りて陰雷は人に在り。陰雷の出づるや時無く、人実にこれを為すなり。

つまり、「陽雷」は天が下すもので、「陰雷」は人が下すものなのじゃ。このため、「陰雷」は季節や時刻に定まりが無い。ニンゲンの怨恨の心が惹き起こすのである。

故君子畏陰雷也。

故に、君子は陰雷を畏るなり。

だから、先生はおっしゃった。

「おそろしいのは、音を立てない陰雷じゃぞ」

と。

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清・屈大均「広東新語」巻一より。ただし、同書によると「陰雷」「陽雷」というのは、広東の雷州という地域での呼び方だそうですから、日本ではそんなに恐ろしくないかも知れません。じゃが、油断は禁物じゃ・・・いけね、おいらコドモでちた。油断はちてはいけませんぞ。この世では、何事に対しても。

 

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