令和2年8月12日(水)  目次へ  前回に戻る

「お。誰かが忘れていったシリコダマがあるでカッパ。」忘れシリコダマの回収もカッパの重要なシゴトだ。

今日も無茶苦茶暑かったです。体力をつけるために、無理してでも肉とか魚を食ってタンパク質を摂らないといけませんよ。

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魚の取り方について勉強しておきましょう。

漁人貯蛍火猪脬中、而縛其竅、置之網間、取魚必多。

漁人、蛍火を猪(ちょ)の脬(ほう)中に貯え、その竅を縛りてこれを網の間に置けば、魚を取ること必ず多し。

漁師がホタルを捕まえてきてこれをブタの胃袋に入れ、上下の穴を縛ってホタルが逃げられないようにして、(夜の漁の際に)網のどこかに仕掛けておくと、魚が必ず多く獲れるということである。

また、

猢猻毛置網口四角、取魚必得。

猢猻(こそん)の毛、網口の四角に置けば、魚を取ること必ず得ん。

おさるの毛を網の取り入れ口の四隅に置いておくと、必ず漁獲がある。

また、

水族嗜燕肉、釣者以爲餌。

水族、燕肉を嗜み、釣者は以て餌と為す。

水中に棲む生物は、どういうわけかツバメの肉が好きなので、釣りびとは(ツバメの肉を)エサにする。

また、

向魚網念掲諦呪七遍、則漁人終日不獲一。

魚網に向かいて「掲諦(ぎゃあてい)呪」を念ずること七遍ならば、すなわち漁人終日一も獲ず。

「掲諦呪」は、般若心経の最後に出てくる「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい・・・」というマントラのことです。

魚網に向かって「ぎゃていぎゃてい・・・」の呪文を七回、心の中で唱えておくと、(その網の持ち主である)漁師は、一日中漁獲が無くなる。

以上はすべていろんな書物に書いてあることばかりです(。わたしが漁師から直接聞いたのではありません。)から、信憑性は高いです。

それにしても、上三つと最後のは、

殆有矢人函人之不同。

ほとんど矢人と函人の不同有り。

まったく、矢を作る職人とよろいを作る職人の違いと同じような違いがありますね。

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「茶余客話」巻二十より。カッパがシリコダマを取るように、ニンゲンも魚を獲り、生物対生物の激しい戦いを繰り広げています。どちらもがんばって欲しいですね。おいらはもう生存競争から脱落して、隠棲していますが。

なお、「孟子」公孫丑上篇に曰く、

孟子曰、矢人豈不仁於函人哉。矢人唯恐不傷人、函人唯恐傷人。巫匠亦然。故術不可不慎也。

孟子曰く、矢人あに函人よりも不仁ならんや。矢人はただ人を傷つけざるを恐れ、函人はただ人を傷つくるを恐る。巫と匠もまた然り。故に術は慎しまざるべからざるなり。

孟先生がおっしゃった。

「矢を作る職人が、よろい作りの職人より、心が優しくない、というわけではないのである。しかし、矢を作る職人は、自分の作った矢が人を傷つけられなかったらどうしよう、ということを心配している(。人を傷つけたくてしようがないようだ)。一方、よろい職人は、自分の作ったよろいが人を守れず、傷つけられてしまったらどうしよう、ということを心配している。巫女さんと棺桶職人の関係も同じようなものだ(。巫女さんは病気の人を助けたいと祈り、棺桶職人は人が死なないとシゴトにならない)。

(どちらもマジメにシゴトに精を出しているだけなのに、人を傷つけるか傷つけないようにするか、という違いが生じるのだ。)だから、身に着ける技術はよくよく選択しないといけませんよ。

孟先生のお話はもう少し続くんですが、ここまでで「矢人と函人が違う」という意味はわかっていただけたと思いますので、明日はまた出勤なんで、ここまでといたします。というかおいらコドモでしかも隠棲しているのに、また明日出勤させられるのでちゅとは。もう辞めようかな。

 

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