令和2年7月13日(月)  目次へ  前回に戻る

たましい無きものの、成れの果てとはこういうものか。

昨日は休日でたましいあるもののごとく高揚したが、今日はまた木偶人形に戻って一日じっとしていました。

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チャイナの

南方好傀儡、北方好鞦韆。

南方は傀儡を好み、北方は鞦韆を好む。

南の方のひとたちは人形劇が大好きで、北の方のひとたちはブランコが大好きである。

両方好きでもいいような気がしますが、そういう傾向があるそうなんです。

然、皆胡戯也。

然るに、みな胡戯なり。

しかしながら、どちらも、西北の異民族が伝えた遊戯である。

のだそうです。

「列子」によれば、

偃師為木人、能歌舞。

偃師、木人を為(つく)るに、よく歌舞す。

偃師(えんし)は、超古代の周の穆王(在位前985〜前940という)のときの伝説的な技術者です。

古代、偃師が木で人間型のロボットを作った。これは歌い舞うことができた。

というのが傀儡、デク人形の始まりだということだが、穆王は西域の崑崙山に行って西王母と会ったという伝説のあるひとであり、はるかな昔に西域から伝わってきた技術を穆王と偃師の名で記憶したものであろう。

また、

鞦韆云自斉桓公伐山戎、伝其戯入中国。

鞦韆は斉の桓公の山戎を伐ちしより、その戯中国に入ると伝わる。

ブランコの方は、春秋の斉の桓公(在位前685〜前643)が西北方の蛮族であった戎狄を征伐したあとで、その遊びがチャイナに伝わったものだといわれる。

ほんとうであろうか。

今、燕斉之間、清明前後此戯盛行、所謂北方戎狄愛習軽趫之能者、其説信矣。

今、燕・斉の間、清明前後にこの戯盛んに行われ、所謂(いわゆ)る北方の戎狄、軽趫(けいきょう)の能を愛習するとは、その説信ぜられん。

現代(明の時代です)においても、燕(今の北京のあたり)や斉(今の山東地方)では、春の清明節の前後(三月末)には、このブランコ遊びが盛んに行われる。北方の異民族である戎狄は軽々としたすばやい動きが大好きで、そんな行動ができるように訓練する(その練習の一環がブランコである)という説があるが、それは信憑性があるようである。

ということですから本当なんでしょう。

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明・謝肇淛「五雑組」巻五「人部一」より。デク人形もブランコも、ひとの操るままに一芝居、あるいは一揺れして、芝居や遊びが終わったら放り出されて見向きもされない・・・なんだかわれらに似ているような、いや、われらは見向きされる時期も無かったか。

 

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