令和2年7月14日(火)  目次へ  前回に戻る

毎日毎日忍耐だけで生きてきた者も、意外に↓では評価されるかも知れない。

昨日は眠くて頭痛がするぐらいだったが、今日は眠くて居眠りする程度ですんだ。

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昨日に続いてチャイナの南北比較を試みます。

南方称市井游手曰流氓、北方称市井游手曰渾渾。

南方に市井の游手を称して「流氓」(りゅうぼう)と曰い、北方に市井の游手を称して「渾渾」(こんこん)と曰う。

南の方では町の遊び人たちを「流れ者」といい、北の方では町の遊び人たちを「こんこん団」という。

「渾渾」は「滾滾」と同じで水の湧き出る様をいい、あるいは「渾」がぼんやりしているとか大きいさまをいう、というので、そういう語感もあるかも知れません。ちょっと訳しにくいので「こんこん団」という訳語にしてみます。

この二者は性格において大きな違いがあり、

顧流氓以詰詐勝、渾渾以剽悍不畏死勝。

顧みるに、流氓は詰詐を以て勝り、渾渾は剽悍にして死を畏れざるを以て勝る。

よく考えてみると、「流れ者」の方はひとを騙したり欺いて追い込む点で「こんこん団」にまさるが、「こんこん団」の方は荒々しくて気が早く、死ぬことさえ恐れない、という点で「流れ者」にまさっている。

どうもこの文章を書いている人は「こんこん団」の方がひいきのようで、このあとはこちらの話ばかりになります。

こんこん団の構成員にはまた二種類あって、下等なやつらはニワトリの物まねをしたりイヌのように忍び込んで盗みを働いたりする下らん悪党たちだが、もう一種類のやつらは、

力則排難解紛与殺人越貨兼而有之。

力(つと)めてすなわち難を排し紛を解すると、人を殺し貨を越すると、兼ねてこれを有す。

人のために困難な問題を片付け、紛争を解決してやることと、人を殺し荷物を奪うことと、その両方の行為を兼ねて行う。

善であったり悪であったりするのだ。

蓋其気質有類戯劇中英雄好漢行径、求吾心之所安、不問是非也。

けだしその気質に戯劇中の英雄好漢の行径に類する有りて、吾が心の安んずるところを求め、是非を問わざるなり。

これはどうも、彼らの気質の中に、お芝居に出て来る英雄や好漢たちの行動様式に似ているところがあって、自分のキモチが落ち着くところを求めはするが、正しいか正しくないか、などは考えない、ということによるのであろう。

ところで、

渾渾中有領袖、俗称曰大哥。

渾渾中に領袖有り、俗に「大哥」(たいか)と称す。

「領袖」(りょうしゅう)は「指導者」の意ですが、もともとは服飾用語としての「えり」と「そで」で、衣服の中で上の方に来るもの、ということで「指導者」の意味になったのであります。

「こんこん団」の中に、頭目となる者がおり、一般にそいつのことを「大兄い」と呼ぶ。

大哥一語、咸視為命令、無敢違。

大哥一語すれば、みな視て命令と為し、あえて違う無し。

大兄いが一言言えば、まわりの者はみな命令だとみなして、それに逆らおうとする者は無い。

あるとき、わたし自身の目の前で、

大哥行于市間、偶一謦咳、徒党立集。

大哥、市間に行き、たまたま一謦咳するに、徒党たちどころに集まれり。

大兄いといわれているひとが市場を闊歩していたとき、たまたま咳払いを一回した。すると、どこからかその仲間たちが集まってきて、大兄いの周りを取り巻いた。

ことがあった。

というほど権威があるのだが、

聞彼中人言、為領袖者殊無他長、但能忍耐諸種苦痛、任人鞭箠打撃、夷然任受而已。

彼の中人の言うを聞くに、領袖たる者はことに他長無く、ただよく諸種の苦痛を忍耐し、人の鞭箠の打撃するに任せて、夷然として任受くることのみ、と。

そのグループの中のひとに聞いてみると、「頭目たる者は別に他の長所がある必要は無く、ただ、いろんな苦痛を耐え忍び、他人から革のムチや竹のムチで殴られるままにし、平然としてそれを受けることができれば、それでいいのだ」ということだそうだ。

うーん、自分(肝冷斎)が評価されているみたいでこそばゆいですね。

なお、

渾渾勢力亦有界限、如前門大街及驢馬市者為最。

渾渾の勢力もまた界限有り、前門大街及び驢馬市の如きは最たり。

こんこん団の勢力にも及ばないところがあるが、都市の正門の大通りとロバ市場のようなところには、最も強い影響力を持っている。

んだそうです。

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清・孫静安「棲霞閣野乗」より。組織内はかなり三密で社会的距離など無さそうですね。

 

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