平成32年1月31日(金)  目次へ  前回に戻る

「飛べるでコケ」「飛べるでピヨ」「飛べるでピ・・」と言い続ければ、いつか強風に乗って飛べるカモ知れぬ。

週末になりました。明日からは絶望が予想される二月。だが、これからはいいことばかり起こる、と夢見ながら今宵は寝よう・・・。

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三国・魏周宣、字は孔和は山東・楽安のひとである。

善於占学、十中八九。

占学に善く、十に八九を中す。

各種の占いの学が得意で、十占えば八か九は当たる、というほどであった。

某太史があるとき周宣に問うた。

吾夜夢蒭狗、其占何也。

吾、夜、蒭狗(すうく)を夢む、其の占何ぞや。

「蒭狗」(すうく)はわらで編んだイヌの形をした置物で、古代チャイナでは神さまを祀るのに供えました。もとはイヌ肉で祭ったのが、略式化したものでしょう。わらのイヌは、供えられた後、災禍などの悪運をそれに移して、遺棄されます。

「わしは昨夜、わらのイヌを夢にみたのじゃが、何が起こるか夢占いしてもらえんかな?」

周宣はにやりと意味ありげに笑うと、言いました。

君将得其美食。

君まさにそれ美食を得べし。

「あなたは間もなく美味いものを食べることができましょう」

「ほう」

有頃出行、果遇豊膳。

有頃にして出行するに、果たして豊膳に遇えり。

ほどなく出張することがあり、果たして出先ですばらしい食事を出してもらった。

帰宅してしばらく経ったころ、また周宣に質問した。

昨夜又夢見蒭狗、何也。

昨夜また夢に蒭狗を見たるは何ぞや。

「昨夜、また夢にわらのイヌを見たのじゃが、何が起こるのかのう?」

君将堕車折脚、宜慎之。

君まさに車より堕ちて脚を折らん、よろしくこれを慎むべし。

「あなたは間もなく馬車から落ちて足の骨を折るかもしれません。どうぞお気をつけください」

「ほう」

と言われていたのですが、

果如宣言。

果たして宣の言の如し。

結局、周宣の占いどおりのことになってしまった。

しばらくしてまた問うた。

昨夜復夢見蒭狗、何也。

昨夜またも夢に蒭狗を見たるは何ぞや。

「昨夜、またまた夢にわらのイヌを見たのじゃが、何が起こるかのう?」

君当失火、宜善護之。

君まさに失火すべし、よろしくこれを善護せよ。

「あなたは間もなく火事を出してしまいますぞ。どうか注意なさいますように」

俄遂火起。

俄かに遂に火起こる。

すぐに、やはり火事になった。

注意していたおかげでなんとか小火で済んだのは幸いであった。

太史は言った。

前後三次皆不夢也、聊試君耳。何以皆念耶。

前後三次、みな夢みず、いささか君を試みるのみ。何を以てみな念ぜるや。

「実は三回とも、夢で見てはいなかったんじゃ。ちょっとおまえさんの能力を試してみただけだったのじゃが・・・。一体どうして三回とも夢解きをすることが出来たのかのう?」

なんと、フェイクだったのです。

周宣はにやりと意味ありげに笑って、言った。

此神霊動君使言、故与夢無異也。

これ神霊の君を動かして言わしむるなり、故に夢みると異なる無し。

「それは霊的なモノがあなたを(無意識化で)動かしてああいうことを言わせたのです。だから、夢で見たのと同じことだったのですな」

「へー」

これは驚いた。ユング派です。

三夢蒭狗、而其占不同何也。

三たび蒭狗を夢みるに、その占同じからざるは何ぞや。

「それでは、三回わらのイヌの夢を見たわけじゃが、それぞれの夢解きが違ったのは何故なのかのう?」

蒭狗者祭神之物、故君当得飲食也。祭祀訖、棄之道、則蒭狗車所轢。故中夢当堕車折脚也。蒭狗既車轢之後、必截以為樵。故夢此憂失火也。

蒭狗なるものは神を祭るの物なり、故に君まさに飲食を得べしとす。祭祀訖(おわ)ればこれを道に棄つ、すなわち蒭狗車の轢くところなり。故に中夢まさに車より堕ち脚を折るべしとす。蒭狗既に車轢の後は、必ず截りて以て樵と為す。故にこれを夢みて失火を憂うるなり。

「わらのイヌは神さまを祭るためのものじゃないですか。ですから、あなたは(神さまのように)飲食を捧げられると占ったんです。祭祀が終わるとわらのイヌは道ばたに捨てられます。するとわらのイヌは車に轢かれてしまうことになる。そこで、二番目の夢で、車から落ちて足を折りますと占ったんです。わらのイヌが車に轢かれたら、もう切断して火をつけるための(木を擦って出た火を移す)「つけぎ」にするしかありません。それで、それを夢見たなら、火事を出す心配があるな、と占ったのです」

「へー、なるほどねー」

宣之占夢類皆若此、可謂神乎其術矣。

宣の占夢の類みなかくのごとく、その術を神とせりと謂うべきなり。

周宣の夢占いなどはすべてこのようなもので、その技術について神の域に達していた、というべきであろう。

すばらしい。

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民国・林廷橋「二十五史探奇」巻三「三国志魏書」より。この本は海南出身の林廷橋先生が編んで、民国五十八年(1912年の辛亥革命の年が元年となりますので、1969年)に台北で出版したものです。林先生はもと国府軍の法官だったそうで、国共内戦で敗れてベトナムに逃げ、そこから台湾に入り、退役後は中等学校の先生をしながら、「史記」以降の「正史」とされる二十五の歴史書(最後は民国初に編纂されていた「清史稿」です)から、変な話、奇妙な話、不思議な話を選んで編修したのが、この本です。

本日ご紹介した周宣の「三夢蒭狗」のお話は、「三国志」巻二十九「魏書・方伎伝」の文章を少しダイジェスト(太史と周宣の会話はすべてそのまま)したもの。

先生は科挙官僚でも無いし、専門の歴史学者でも無いので、おそらくその知的レベルが在野民間の肝冷斎族と近いので、この本はたいへんためになるといいますか、おもしろくてたまらんのじゃ。チャイナ史名物ともいうべき残虐系もたくさん出てきますよ、うっしっしー! しかも神保町の古書店で上下二冊締めて200円(外税)だったんです。

それにしても実際に夢に見なくてもコトバに出すのは「神霊」が言わしめていることだったんですね。コトダマじゃ。コトダマさまのお力がチャイナの昔の知識人にも認められていたんじゃ。わしもこれからは前向きの発言ばかりして、コトダマさまのお力をお借りするのじゃ。

 

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