平成32年1月30日(木)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのはここから逃げることができるであろうか。肝冷斎も同じような状況に!

今日はキビシイ仕事になり、明日も続くという。ツラい。

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ツラいのを読んでみます。「周易」「遯」卦初六爻辞「遯」の卦の一番下の陰爻を引いたときの占断の言葉)。

遯尾q。勿用有攸往。

遯の尾、q(あや)うし。往く攸(ところ)有るに用うる勿(なか)れ。

「遯」(とん)は「遁走」の「遁」と同じで、「逃げる」です。ブタが「ぶびー」といいながら逃げていく姿を想像するとオモシロいですが、「ブタ」という文字ではありません。

「遯」卦は上が☰、下が☶で、その一番下を引いた際には、

「逃げる」際のしんがり。危険である。(この爻が出たら)どこかへ出かけようとか何かをしようとするのは、止めなさい。

北宋の大儒・程伊川先生の解説を聞くと、

尾、在後之物也。遯而在後、不及者也。

尾は後に在るの物なり。遯して後に在るは及ばざる者なり。

「しっぽは一番後ろにあるものである。逃げるときに一番後ろにある、というのは、逃げ遅れたやつである」

うひゃー、これはツラいなあ。肝冷斎の現状である。

逃げ遅れたら早く逃げなきゃ・・・と思ってしまいますが、

「まあ、待ちなされ」

と先生がおっしゃるには、

既已後矣、不可往也、往則危矣。

既已(すで)後れたり。往くべからず、往けばすなわち危うし。

「もう逃げ遅れたのだから、動いてはいけない。どこかに行こうとすれば、即座に危険である」

むむむ。

さて、「周易」の古い注である「象伝」に、この爻を解説して、

遯尾之q、不往何災也。

遯尾のqは、往かざれば何ぞ災いせん。

「逃げる」際のしんがりの危険という状況は、どこにも行かなければ災禍に遇わない。

と書いてあります。程先生曰く、

見幾先遯、固為善也。遯而為尾、危之道也。往既有危、不若不往而晦蔵、可免於災。処微故也。

幾(き)見て先遯するは、もとより善為り。遯にして尾と為るは危の道なり。往きて既に危うき有れば、往かずして晦蔵し、災いより免るべきにしかず。微に処るが故なり。

「機を見て先に逃げ出すのは、もちろんすばらしいことである。逃げ遅れてしんがりになってしまったのは、危険な状態だ。どこかに逃げようとしてももう危険だという状態ならば、どこにも行かずに暗がりに隠れて、災禍から免れようとする方がよい。小さくなってわからないところにいれば、免れるかも知れないからである」

にゃんにゃーん! やっぱり何もしなければ何とかなるカモ知れないんだ! 機を見るやつらより楽していい目に遇えるカモ。明日は逃げ遅れて危険ですが、何もしないでじっとしています。

古人処微下、隠乱世、而不去者多矣。

古人微下に処り、乱世に隠れ、而して去(ゆ)かざる者多いかな。

「むかしの賢者で、目立たないようにして、乱れた世の中から隠棲し、何もしないでじっとしていた人は、なんと多きことであろうか」

まったくですよね、先生!

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「周易程氏伝」(伊川易伝)巻三「遯卦初六」。道義的には「乱世」か「治世」かの見極めが重要で、「治世」なら世に顕われてハタラかねばならないのですが、われらごときにその見極めができるわけもないので、隠れて免れるの一択である。明日もうまく隠れていられるといいのだが・・・。

 

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