令和元年9月13日(金)  目次へ  前回に戻る

「おれたちゃ月にうごめくひよこデビル〜」「はやくニワトリになりたーい、でピヨ」

夕方、「明日出勤!」といわれて「ぶぶぶー」とおそろしいブタの顔になりかけた・・・のですが、しばらくしたら解除された。よかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は中秋節です。週末だし、お香でも焚いて書物でも読むかのう。

焚香看書、人事都尽。

香を焚きて書を看れば、人事すべて尽きん。

お香を焚いて書物を読む。これぞ人間の出来る最高のことであろう。

そのとき、

隔簾花落、松梢月上、鐘声忽度、推窗仰視、河漢流雲、大勝昼時。

簾を隔てて花落ち、松梢に月上り、鐘声たちまち度(わた)りて、窗を推して仰ぎ視れば、河漢雲を流し、大いに昼時に勝(まさ)れり。

(春ならば)すだれの向こうに花が落ちる音が聞こえ、(秋ならば)松のこずえの上から月が出てくる光が目に入り、いずこの寺の鐘の音か、ふと空いっぱいに聞こえてくる。窓を押し開いて空を仰ぎ見ると、天の川には雲が流れ、昼間よりも美しい世界が広がっているではないか。

すばらしい。

非有洗心滌慮、得意爻象之表者、不可独契此語。

心を洗い慮を滌いて、爻象(こうしょう)の表に意を得る有る者にあらざれば、ひとりこの語に契するべからず。

「爻」は易の例えば☶(昆)の一本一本の横棒(ここでは下から陰爻、陰爻、陽爻になっています)のこと。「象」は易の例えば☶であれば「山」のすがたに象る、というような形から来る意味のこと。

心や思いを洗いきよめ、「易」の中のコトバにならない「しるし」や「かたち」からその意味を読み取れる(神秘的な世界に触れることのできる)ような人で無ければ、わたしが今言っていることに合致した境地を理解してくれないだろう。

うっしっしー。みなさんは理解できるかなー?

・・・・・・・・・・・・・・

「酔古堂剣掃」巻十二より。行方の知れぬ肝冷斎も、今日はどこかでこの月を眺めているのであろうか。それともモグのように闇の中であろうか。

 

次へ