令和元年9月12日(木)  目次へ  前回に戻る

「企業内起業みたいなアイディア出せ」というのでカードゲーム「隋唐演義」を作ってみたが、サボっているとしか理解されないようだ。これでは肝冷斎も逃げてしまって当然であろう。

まだ木曜日。早く週末にならないかなー。シゴトしたくないなー。

・・・などと言っているとどこかからおえら方に伝わって、「そんなにサボりたいならサボらせてやるぞ、永遠にな。わはははは」とか言われて追い出されてしまったりしますので、気をつけよう。

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「壁に耳がある」ことがあります。もともとは壁ではなくて、

牆有耳。伏寇在側。

牆に耳有り。伏冦(ふくこう)側に在り。

だったようなんです。「牆」(しょう)は「土塀」「垣根」。

垣根に耳があり、盗賊はすぐ側に隠れている。(だから、注意しなければならない。)

んだそうなんです。

そして、

牆有耳者、微謀外泄之謂也。伏冦在側者、沈疑得民之道也。

牆に耳有るは、微謀の外泄するの謂いなり。伏冦側に在るは、沈疑(しんぎ)の民を得るの道(いい)なり。

「垣根に耳が有る」というのは、秘密のはずのはかりごとが外部に洩れてしまう、という意味である。「盗賊はすぐ側に隠れている」というのは、沈滞し忠誠を疑われている者が人民の支持を得つつある、という意味である。

そうなんです。

なんじゃそれ。

微謀之泄也、狡婦襲主之請而資游慝也。

微謀の泄るるや、狡婦の主の請を襲いて游慝(ゆうとく)に資するなり。

「請」はここでは「情」と同じ意味。「襲う」は「先取りしてしまう」。「慝」は「邪悪な心」「邪悪なひと」。

秘密のはずのはかりごとが漏れてしまうと、(はかりごとを知った)ずるい女が主人のキモチを先取りして、外からやってくる邪悪なやつを助けることになろう。

沈疑之得民者、前貴而後賤者爲之駆也。

沈疑の民を得るは、前に貴くして後に賤しき者、これが駆を為すなり。

沈滞し忠誠を疑われている者が人民の支持を得るのは、以前厚遇されていたがその後落ちぶれた者が(自分を落ちぶれさせた主君への怨みから)、人民を駆り立てているのである。

古者有二言。此礼正民之道也。

いにしえに二言有り。これ礼の民を正すの道なり。

(「牆に耳有り」と「伏冦側に在り」は、)古代から伝えられている二つのコトバなのだ。(このような二つの状態が起こらないように、)君主は社会規範を以て人民を正しく導いていかなければならないのだ。

・・・われわれの「壁に耳あり」とはだいぶんイメージ違いますね。

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「管子」巻十一・君臣下第三十一より。コトバの意味はどんどん変化するものなんで、それでいいんです。

しかし、肝冷斎ももしかしたら、俗世と縁を切ってどこか遠い空の下にいるのではなく、落ちぶれた恨みを晴らすために「伏冦」として側に隠れているのカモ知れんぞ? いや、まさか・・・。

 

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