令和元年8月1日(木)  目次へ  前回に戻る

だるま大行進だるまー。

暑かったです。もうダメだ。しかしもう絶対夏休みだと思うので、明日からは冷房がんがん効かせて家でごろごろしていよう・・・。

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唐の時代のことです。

とある和尚さまが、御用があって都・長安に行きました。

路逢官人喫飯。

路に官人の飯を喫うに逢う。

途中、道ばたに行列を止めて、お役人の一行が昼飯を食べているのに出会った。

当時は「弁当」などという概念は無いので、道ばたでお弁当を食べているのではなく、一行の中の料理人がわざわざ火を起こして料理を作ってそれを食っているんです。場合によっては道を塞いでしまって通行止めになったりします。

和尚もここで足止めを食らって、お役人一行がメシを喰い終わるのを待っていた。

やがて、

忽見驢鳴。

忽ち驢の鳴くを見る。

急に、ロバが鳴いた。

このロバは役人の騎乗しているもので、このときは何処かにつながれていたのだと思います。

官人召曰、頭陀。

官人召して曰く、「頭陀」と。

役人はロバを呼び寄せて「どうした? ズダ」と声をかけた。

さて、「頭陀」(ずだ)はサンスクリットの「ドゥタンガ」の音訳で、托鉢修行またはその修行者を指します。本来決して悪いコトバではないのですが、インドと違ってチャイナの文化では托鉢(という経済行為)が内在化していないので、「コジキ」「物乞い」のような意味を持たされることがあります。

「ズダ」というコトバを聞いて、

師挙頭。

師、頭を挙ぐ。

和尚さまは頭を挙げて役人の方を見つめた。

役人は、徳の高そうな僧がこちらを見ているのに気づいて、

「いやいや、「ずだ」というのは和尚様のような立派なお坊様のことを言ったのではなく、こいつの名前なのです。誤解させて申し訳ござらぬ」

と言いながら、

指驢。

驢を指す。

ロバを指さした。

なかなかいい人ではありませんか。

和尚は無表情に、

却指官人。

却って官人を指す。

逆に役人の方を指さした。

「ロバの名前じゃったか。わしはおまえさんのことだと思ってそちらを見ただけなんじゃ」

役人の食っているメシは、誰からもらってきたものなのじゃ? とかそういう意味も含めているのか、どうでしょうか。

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「五灯会元」巻三「百丈惟政禅師」より。なかなかいいお話ですな。・・・と和んでいたが、よく考えると明日もまだ平日だ。今宵はまだ和むことはできないのだ。

 

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