令和元年7月26日(金)  目次へ  前回に戻る

今日はネコまんだらだ。カッパねこもいる。トラは描かれていません。

やっと週末。明日台風来て、そのあと暑くなるらしいです。トラが出るかも知れませんよ。

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唐の時代、百丈懐海和尚のもとに一人の弟子がおりました。百丈和尚はこの弟子に訊ねた。

什麼処来。

什麼処(しましょ)より来たる。

「今日はどこに行っておったんじゃ?」

弟子は言った、

山下採菌子来。

山下に菌子を採り来たれり。

「山の麓でキノコ採りをしておりましたが」

百丈曰く、

還見大蟲乎。

還って大蟲を見るや。

「大蟲」は「トラ」のことです。

「帰りにトラを見なかったかな?」

「トラ」とは修行者たちが目指す「悟り」あるいはそれを得たひとを暗示しているのでしょう。

すると弟子は、

便作虎声。

すなわち虎声を作す。

「うわーお!」と、突然トラのような鳴き声を出した。

百丈は、

於腰下、取斧作斫勢。

腰下において斧を取りて斫る勢を作す。

腰からオノを取り出して、そつを切る真似をした。

弟子は、

約住便掌。

約住しすなわち掌す。

一瞬ちぢこまって動きを止め、次の瞬間には飛び上がって、師匠の顔を平手で打っ叩いた。

「うっしっし」

そいつはそのままどこかに行ってしまった。

・・・・その日の夕方、和尚は上堂(寺の正堂に僧侶たちを集めて講義をすること)して、言った。

大雄山下有一虎、汝等諸人出入切須好看、老僧今日親遭一口。

大雄山下に一虎有り、汝等諸人、出入に切に好看すべし、老僧今日親(みず)から一口に遭えり。

「ここ大雄山のふもとには一頭のトラがおるようじゃ。おまえたち諸君よ、出入りするとこは切に注意せねばならんぞ。わしはもう今日、自分で一口に食われてきてしまったからな」

と。

コントかなんかをしているわけではなかったようなのです。

なおこの僧侶は、後に百丈懐海の法を継ぐことになる黄檗希運であったという。

・・・百丈懐海のほかの弟子(黄檗希運の兄弟弟子)に潙山霊祐というひとがいます。このひとが、自分で弟子である仰山慧寂に言った。

黄檗虎話作麼生。

黄檗の虎話、作麼生(そもさん)。

「お前も黄檗が百丈師匠に認められたトラの話を知っているじゃろう。おまえはどのように考える?」

この話は同時代のひとたちの間で有名になっていたのでしょう。

仰山曰く、

和尚尊意如何。

和尚の尊意、如何。

「和尚こそ、どう思っておられるのか、教えていただけませんか?」

この潙山霊祐のところの教風はちょっと甘いところがあったみたいで、弟子が師匠にこんな質問が出来たようなのです。

潙山和尚は言った、

百丈当時合一斧斫殺、因什麼到如此。

百丈当時、まさに一斧にて斫殺すべく、什麼(しも)に因りてかくの如きに到らん。

「百丈和尚はあのとき、絶対にオノを振り回して殺しておくべきだったんじゃ。そうしていたら、どうしてこんなことになってしまっただろうか」

→逆説的ながら「黄檗の言行は立派である。おかげでみんなも悟りについて考えるきっかけができたであろう」と言ってるんです。

不然。

しからず。

「そうではございますまい」

「ほう、おまえはどう考える?」

仰山は言った、

不唯騎虎頭、亦解収虎尾。

ただ虎頭に騎るのみならず、また虎尾をも解収せり。

「(百丈和尚は)トラの頭にまたがることはもちろん、トラの尻尾まで解きほぐして捕まえてしまうことができました」

→結局すべて師匠の百丈のてのひらの上だったんですよ。

「ほほう。潙山はにやにやと笑って、

寂子甚有険崖之句。

寂子甚だ険崖の句有り。

「寂慧どのは、たいへん険しくて誰にも近寄れない(思いがけない)ことをおっしゃるなあ」

と言いまして、「かかか」と機嫌よさそうに笑ったのでございます。

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「碧巌録」八十五則・評唱より。おそらくその当時一般に評判であった黄檗の虎の話を使って、仰山は黄檗よりもその師匠の百丈を賞賛しました。そうすると、兄弟弟子の黄檗を誉められるよりも潙山が喜ぶことになる―――なかなか仰山慧寂どのは人情の機微を弁えたコトバをおっしゃるなあ。

 

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