令和元年5月7日(火)  目次へ  前回に戻る

チーズを発見して、楽しげに近寄って来るネズミのチュージだが、果たして次の瞬間、何が起こるのであろうか。

本日は更新担当者全員体調を崩しましたので、更新中止・・・と思いましたが、明日はもっとひどくなりそうなので、いつ最後の更新になるかわからぬ身の上ゆえ、簡単に更新しときます。

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為濁富不若為清貧。

濁を為して富むは清を為して貧しきにしかず。

汚いことをしてカネ儲けするぐらいなら、清々しく貧乏でいたいものだ。

これはテレビのバラエティーなんかでも永六輔さん以来推奨されていると思うので、みなさん頷かれることでしょう。

さてこちらはどうでしょうか。

以憂生不若以楽死。

憂いを以て生くるは楽しきを以て死するにしかず。

ツラい思いで生きているぐらいなら、楽しく死んでしまった方がましだろう。

みなさんはどうしますか。

「そのとおりですねー」と言ってにこにこしながら死んでしまおうかなー。

ちなみに、清の時代のみなさんのご意見はどうでしょうか。

李聖許の「評」に曰く、

順理而生、雖憂不憂、逆理而生、雖楽不楽。

理に順いて生くれば、憂いといえども憂えず、理に逆らいて生くれば、楽しといえども楽しまざらん。

こうあるべき、という在り方に順って生きているなら、ツラいことがあってもツラいと思わないだろうし、こうあるべき、という在り方に逆らって生きていったら、楽しいことがあっても楽しいとは思えないのではなかろうか。

呉野人曰く、

我寧願為濁富。

我はむしろ濁を為して富むを願わん。

あのー、わたしはむしろ、汚いことをしてでもカネ儲けしたいんですが・・・。

張竹坡曰く、

我願太奢、欲為清富。焉能遂願。

我が願いははなはだ奢れり、清を為して富まんことを欲す。いずくんぞよく願いを遂げんや。

わたしの願いはあまりにもゼイタクだが、清々しく暮らしながらおカネが欲しいのだ。どうしたらそんなことができるだろうか(できないと思うけど)。

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清・張潮「幽夢影」第37章。ああ体調悪いなあ、明日会社行くのツラいなあ。

 

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