平成31年4月21日(日)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのには、新鮮な魚類より炭水化物が袖の下として効き目があるとされるが、本当の聖人皇帝には袖の下など効かないのじゃぞ!

明日からまた平日であるぞ。不安を誤魔化すためにオモシロい本でも読もうと思います。

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本当かどうか知りませんよ。

万里の長城が東に延びて、渤海に突き出たところにあるので有名な山海関の澄海楼は、以前は関城堡と呼ばれた要塞であるが、

城根皆以鉄釜為基、過其下者、覆釜歴歴在目。

城根みな鉄釜を以て基と為し、その下を過ぐる者、覆釜歴歴として目に在り。

城郭の基礎が、すべて鉄の釜で出来ているのである。その下を通る者は、伏せた釜がたくさん並べられているのを、はっきりとその目で見ることができるのだ。

歴史書で見る限り、

僅載関城明洪武間所建、而基址未詳築於何時。蓋城臨海衝、濤水激射、非木石所能久固。

僅かに関城は明の洪武の間の建つる所と載するのみにして、基址いまだ何れの時に築くかを詳らかにせず。けだし、城の海衝に臨み、濤水激射すれば、木石のよく久固するところにあらざるならん。

「関城は明の洪武年間(1368〜98)に建てられた」と記載してあるだけで、その基礎部分がどの時代に築かれたのか、はっきりしない。しかし、この城郭は海に臨んでおり、波がしらが激しくぶつかってくることがあることから、基礎は木造や石造では長く持たないと考えられたのであろう。

昔人巧出此想耳。

昔人の巧なる、この想を出だすのみ。

むかしの人はホントに知恵があったので、この(鉄の釜を使うという)発想が出てきたのである。

―――ほんとかなあ・・・。

と思ったそこのあなた。クビが飛びますぞ!

土魯番(トルファン)は哈密(ハーミー。いまの新彊クムルである)の西にあるが、

其地産西瓜、種尤佳。

その地西瓜を産し、種尤も佳なり。

その地は最上級のスイカを産出する。

そうかも知れません。いまでも「ハミウリ」という優良なメロンを産する地域です。

この地ではスイカの収穫に当たって、特別な農法があるんだそうです。

毎熟時、人入瓜田、必相戒勿語、悄然摘之。恣其所取、瓜皆完美。

熟時にはつねに、人の瓜田に入るに、必ず語ること勿れと相戒め、悄然としてこれを摘むなり。その取るところを恣(ほしい)ままにするも瓜みな完美なり。

実が熟すと、人々はスイカ畑に収穫に入るのだが、そのとき必ず、お互いに「口を利いてはならんぞ」と戒めあって入り、無言で黙って収穫するのだ。そうすれば、どんな実を取っても、いずれもまるまるとした完全なスイカを収穫することができる。

ところが、もしも

一聞人声、則尽坼裂無全者。

一も人声を聞かば、すなわちことごとく坼裂して全きもの無し。

一声でも人間の声を聞いたなら、その瞬間、スイカの実が「ぼかん」とバクハツして裂けてしまい、一つとして完全なものは残らなくなるのである。

不思議なことである。

―――そんなことあるのかなあ・・・。

と思ったそこのあなた、腰のところで真っ二つに斬られるか、手足ばらばらにされますぞ!

さて、この土魯番(トルファン)の地方であるが、

去雪山不過百里之内、天気極熱。

雪山を去ること百里の内に過ぎず、天気極めて熱なり。

雪山(ヒマラヤ山脈)から五十キロぐらい(1シナ里≒500〜600メートル)しか離れておらず、天候は極めて熱い。

このため、その地のひとたちは、

皆入夜始出耕種。若日出以後、則暑不可耐。

皆、夜に入りて始めて耕種に出づ。もし日出以後なれば、すなわち暑さに耐うべからざるなり。

みんな、夜になってから田畑の耕作・播種に出かける。もし日が出てから畑仕事をしようとしたら、暑すぎて耐えることができないからだ。

且其地多磧石、赤日中石熱如火、触之有焦爛之患。

かつその地に磧石多く、赤日中には石熱きこと火のごとく、これに触るれば焦爛の患有るなり。

おまけに、この地方には石ころが多く、真昼間にはこれらの石ころが火のように熱くなる。もしこれに触れたりすると、たちまち皮膚や肉が焦げ、焼けただれてしまうという問題もあるのである。

―――ええー、ほんとに?

と思ったあなた、うわー、これはもう肉えぐり、少しづつばらばら、の極刑かも知れません!

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「楡巣雑識」巻上より。実はこれらのすばらしい知識の記述は、

皆由御製文第四集雑著中、敬摘大略記之、以益下愚。以見聖人格物之精如此。

みな御製文第四集「雑著」中より、敬しみて大略を摘してこれを記し、以て下愚に益さんとすなり。以て聖人の格物の精なることかくの如きを見よ。

すべて(聖祖康熙帝の)「御製文集」第四の「雑著」から、その大略をつつしんで摘録させたいただき、ここに記録して、(上の方の智者にも普通のひとにも入れない)下の方のオロカものが少しでも賢くなろうとするのに役立てようとしたものなのである。これらの文章を見れば、聖人(であられる康熙帝)の一つ一つの物の本質を究明しようとする努力の精確であることを知ることができよう。

というものであるので、この文章に疑問を持つということは、康熙帝に疑問を持つことだったのである!

この「摘録」は二十二項目あるんですが、これ以上極刑のひとを増やしてはいけないので、今夜のところは以上三項目だけの紹介にさせていただきます。ああオモシロいなあ。

 

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