平成31年4月22日(月)  目次へ  前回に戻る

雪おんな、座敷ワラシ、キタキツネ、コロポックルちゃんなど北国妖怪に出迎えられるアズキアライだ。初対面ではかなりのストレスである。

またも来ました平日。ああストレスがかかる・・・。

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むかしから言い慣わしていることですが、

成人不自在、 人を成すは自在ならず、

自在不成人。 自在ならば人を成さず。

と申します。

人を立派にさせようと教育しても、思い通りにならない。

思い通りに気ままにしていたら、人は立派にならない。

というような意味です。

朱子がこのコトバについて、

此言雖浅、然実切至之論、千万勉之。

この言浅しといえども、然るに実に切至の論、千万これを勉めよ。

「このコトバは深みのあるコトバではないが、至って切実な問題である。(このコトバを噛みしめて)あらゆる努力をするのじゃぞ」

と言っているので有名ですよね。

先人毎以此二句苦口教人、雖拳拳服膺、尚未行到此地歩之極処、因書以自警。

先人つねにこの二句を以て苦口して人を教う、拳拳服膺すといえども、なおいまだこの地歩の極処に行き到らず、因りて書して以て自ら警(いま)しむるなり。

「先人」は単なる「昔のひと」ではなくて、「死んだおやじ」のことです。「拳拳服膺」(けんけんふくよう)は、「中庸」に、

得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣。

一善を得れば、すなわち拳拳服膺して、これを失わず。

いいことを一つ認識したら、これをいつも心に持って、忘れないようにするのだ。

で有名ですが、「拳拳」(けんけん)は文字通り「二つのこぶしで握りしめる」、「服膺」は「膺」(胸のこと)に「服」(着用)して肌身離さない、の意味です。

死んだおやじがいつもこの二句を唱えて、自分や他のひとに口うるさく説教していたものだ。わしはいつも心に持って忘れないようにはしているのだが、なかなかこのコトバの意味することを窮められていない。そこで、ここに自分で書いて、戒めとするのである。

みなさんもケンケンフクヨウしてみよう。

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元・孔斉「至正直記」巻二より。岡本全勝さんのお奨めで福間詳「ストレスのはなし」(中公新書2017.4)を読んでストレス障害の勉強しました。つらつら考えるに、最近はおいらは実はあんまり仕事してないんでストレスも無く、まさに「自在ならば人を成さず」状態になってきているんです。しかしシアワセです。早く連休になって、もっとシアワセになりたいなあ。

 

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