平成30年6月27日(水)  目次へ  前回に戻る

このような高度なシステムによってカメが自在に操られているとは、オロカなニンゲンには理解できないであろう。

絶望の一日を何とか生き抜いてきた。なんで無事に生き抜けられたのか、理解できないぐらいである。ただし、経験則では、往々にしてこのあとに予期していなかったツラいのが起こるものであるので、明日も不安である。ところで昨日からまたアップロード困難が始まったようです。原因は理解できませんので解決のしようも無く、今日の更新もいつの日にアップできることかわかりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清の嘉慶十二年(1807)のことだそうですが、袁叔埜という知事が任満ちて北京に帰ってきた。

以前住んでいた焦家橋の近くの屋敷に戻ってきて、

已下行李、起如厠。

すでに行李を下して、起ちて厠に如(ゆ)く。

荷物を運びこみ終わったとき、袁は立ち上がってトイレに行った。

用を足しているとき、ふと見ると、

厠上有板凳一条、無端自動。

厠上に板凳(ばんとう)一条有りて、端無くも自ら動けり。

トイレに木製の腰掛が一つあって、それがどういうわけか勝手にぶるぶると動いている。

「?」

変だなあと思ったものの、

初不甚怪。遂歩至後園、距厠上已遠、忽見板凳彳亍而来。

初め甚だしくは怪しまず。遂に歩きて後園に至り、厠上を距(へだ)つる已に遠きに、忽ち板凳の彳亍(てきちょく)として来たるを見たり。

最初は大して怪しみもしなかった。そこから歩いて裏庭の方に回って、トイレからだいぶん離れたところまでき来た時に、ふと振り向くと―――先ほどの腰掛が、ぎったん、ばったんと、こちらに向かってやってくるのが見えた。

「彳」(てき)と「亍」(ちょく)は二つ合わせると「行」になりますが、「彳亍」と熟して@佇んでいる、A少し歩いては立ち止まりまた歩くという様子、をいいます。ここではAの方でしょう。

「な、なんだ、なんだ?」

と驚いていると、かたわらにいた

老僕亦見之。

老僕またこれを見る。

年老いた下男もそれを見た。

この下男が、

「こらっ!」

叱之而止。

これを叱するに、止まれり。

怒鳴りつけたところ、そいつはぴたりと止まってしまった。

その後はぴくりとも動かなかったそうである。

殊不可解。

ことに解くべからず。

全くどういうことであったのか、理解できない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「履園叢話」十四より。この世には、理解できないことが多いのです。

 

次へ