平成30年5月13日(日)  目次へ  前回に戻る

ジメジメした空には「もぐこうせん」でピヨ! そんな状況でも、三分の一のひよこはモグに影響されている。

今日はジメジメと雨が降ってかなり濡れてしまったので、明日から風邪ひいて会社休むカモ・・・と思ったが、俗世とは関係ないので会社は関係ないのでした。

今日は俗世でがんばった立派なひとの話をして、平日に立ち向かうみなさんを鼓舞したいと思います。

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チャイナ歴代最高の名君とされる唐の太宗皇帝(在位626〜649)が洛陽苑で猛獣狩りをした。記録によれば貞観十一年(637)十月のことだそうです。

太宗とそのお伴の者たちが馬を駆けさせていると、

有群豕突出林中。

群豕の林中より突出する有り。

突然、群れをなしたぶたが林の中から飛び出してきた。

どんな猛獣がいたのかとドキドキしましたが、ぶただったようです(実際にはイノシシですが、以下「ぶた」と表記し続けます)。

「ぶー」「ぶー」「ぶー」「ぶー」「ぶー」

と、ぶたとはいえ群れを成してすごい勢いでこちらに突っ込んで来たのです。

太宗引弓射之、四発、殪四豕。

太宗、弓を引きてこれを射、四発して四豕を殪す。

太宗は弓を引いてぶたを射た。四回矢を発して、四匹のぶたが倒れた。

「ぶびー!」「ぶびー!」「ぶびー!」「ぶびー!」、

百発百中である。

しかし、

有一雄豕直来衝馬。

一雄豕、直ちに来たりて馬を衝く有り。

一匹の雄ぶたのでかいのが、まっすぐ突っ込んで来て、太宗の馬にぶつかってきた。

危ない!

吏部尚書唐倹下馬搏之、太宗抜剣断豕。

吏部尚書・唐倹、下馬してこれを搏(う)ち、太宗剣を抜きて豕を断てり。

人事大臣の唐倹が馬から飛び降りてこのぶたをぶん殴った。ぶたが「ぶひー!」と転がったところを、これも馬から降りた太宗が、剣を抜くと、一刀のもとにぶたを真っ二つに斬った。

「ぶうーーー」

ぶたはやられた。

太宗は唐倹を顧みました。唐倹は恐怖に満ちた顔つきで倒れたぶたを見ている。太宗は、

笑曰、天策長史、不見上将撃賊耶、何懼之甚。

笑いて曰く、「天策長史、上将の賊を撃つを見ずや、何ぞこれを懼るること甚だしき」。

このコトバには少し解説が要ります。太宗皇帝は即位前、まだ秦王と称して父の高祖皇帝を助けて天下を平定する過程で、「天策上将」という大元帥みたいな地位に就き、その将軍府を開くことを許された(武徳四年(621))。このとき、唐倹を上将府の長史(高級参謀)に任命しました。ここではその時期の職名で、唐倹と自分のことを称したわけです。

笑っておっしゃった。

「天策上将府の長史どの、上将が敵を撃破するすがたをご覧になられたかな。どうしてそんなに心配そうな顔をしているのじゃ?」

唐倹は申し上げた。

「せっかくの機会ですから申し上げます。

漢祖以馬上得之、不以馬上理之。陛下以神武定四方、豈復逞雄心於一獣。

漢祖は馬上を以てこれを得るも、これを理(おさ)むるに馬上を以てせず。陛下、神武を以て四方を定むるに、あにまた一獣に雄心を逞しうせんや。

漢の高祖は、馬の上で(軍隊を率いて)「天下」を得ましたが、「天下」を治めるときは(宮殿の中で政治をして)馬の上ではなされませんでした。陛下、あなたは神の如き軍事行動で天下四方を平定なさったのに、どうしてこんなケモノ一匹に、英雄的な征服心をお出しになるのでございますか」

「なるほどなあ」

太宗善之、因命罷猟。

太宗はこれを善みし、因りて命じて猟を罷む。

太宗はこの意見を受け容れられ、その場で「猛獣狩りはここまでじゃ」と命令を下されたのであった。

すばらしい。このように、エラいひとは部下の言うことを素直に聴こうではありませんか。

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「大唐新語」巻一より(「唐語林」巻一所収)。ただし、ぶたどもはイヌ死にである。トンカツぐらいにはしてもらえたであろうか。

 

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