平成30年5月14日(月)  目次へ  前回に戻る

わーい、「カニこうせん」でカニー。一攫千金を目指す者が乗るという。

わーい、月曜日です。みなさんお元気ですか。怒られてませんか。

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本朝・文徳天皇の斉衡元年(854)七月十一日、備前の国から

貢一伊蒲塞。

一伊蒲塞を貢せり。

一人の伊蒲塞を送ってきた。

「伊蒲塞」(いぼそく)は「優婆塞」(うばさく)すなわち男性在家仏教信者(ウバーシカ)のことです。

このひとは、なんと、

断穀不食。有勅安置神泉苑。

穀を断じて食らわず。勅有りて神泉苑に安置す。

穀物を全く食べない、という。天皇のご指示により都の神泉苑に住まわせることにした。

ウワサを聞いて、

男女集如雲、観者架肩、市里為之空。数日之間、遍於天下、呼為聖人。

男女集まること雲の如く、観者肩を架け、市里これがために空し。数日の間に天下に遍くして呼びて聖人と為す。

男も女も雲のように集まってきて、この人を見ようとして肩車をし、都の市内はこのために空っぽになってしまうほどであった。数日の間に、国中にウワサは広まり、このひとのことを「聖人さま」と呼ぶようになった。

ひとびとはこの人の前に贈り物を捧げていろいろ願い事を言い、この人は話を聞いて、おもむろに

有許諾。

許諾する有り。

「わかりましたぞ」と告げる、ということが行われた。

特に、

婦人之類、莫不眩惑奔咽。

婦人の類、幻惑し奔咽せざるものなし。

オンナどもなどは、幻惑され、みんな走り回ったり嗚咽したりして大騒ぎしていた。

ところが翌月になると、一部でウワサされるに、

「あの方は

夜入定後、以水飲送数升米、天暁如厠。

夜、入定の後、水を以て数升の米を飲み送り、天暁に厠に如(ゆ)く。

夜になってみんなが寝静まると、数升の米を水で飲みこみ、夜明け前にトイレに行っているんだ」

と。

そこで、

有人窺之、米糞如積。

人のこれを窺がうに、米糞積むが如き有り。

誰かがそっと覗き見したところ、(トイレに)ウンコが積み上がっていた。

このため、

声価応時減折。児婦人猶謂之米糞聖人。

声価時に応じて減折さる。児婦人なおこれを「米糞聖人」と謂えり。

評判は以前に比べて半分ぐらいに下がってしまった。それでもコドモやオンナどもは、そのひとを「ウンコ聖人さま」と呼んで敬っていた。

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これは六国史の一である「文徳天皇実録」に出てくるお話です。

まことに味わいのあるお話だなあ。また、正史の中に載っているのだから為になるなあ。

この話を読んで、江戸の知識人の某氏(姓名不詳なんです)は

是は千有余年の昔物語なれども、今の世も更に異なることなし。中にも・・・児婦人はなお米糞聖人といひたるよし記されたる、実に愚夫愚婦の迷ひて酔えるが如くなるは、為方(しかた)なきわざなり。

これは千年ほども前のむかしの話であるけれども、現代だって同じようなことが起こっているのである。中でも、コドモやオンナどもがそれでも「ウンコ聖人さま」と呼んでいた、ということが記録されているが、ほんとうにオロカな男やオロカな女が迷い酔ったようになっているのは、どうしようもないことである。

と評しております。(「勇魚鳥」初篇上

ああよかった。「コドモやオンナ」を「オロカな男とオロカな女」にすり替えていて、なんとか「正しい」言説になっていました。なにしろ取材に行ったひと(取材を受けたひと、じゃないんですよ!)が「不快な思いをした」らハラスメントになる世の中ですから、江戸時代の人が言ったことを紹介して「不快な思いをした」ら怒られないということがあるだろうか。いや、ない。

 

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