平成29年12月19日(火)  目次へ  前回に戻る

目の前のものを捕らえたとて、それが何になろうか。おまえの捕らえるべきものは、今目の前に見えているものではない・・・と思いませんか。

いやー、毎日精神を擦り減らして、みなさん、たいへんだなあ・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

むかしむかし、殷の湯がまだ王位に即く前、まだ夏の桀王に仕えていたころのこと―――(紀元前17世紀中ごろ、という設定になります)。

ある日、湯が邑(まち)の外の原野に出たところ、

見祝網者。

網を祝する者を見る。

網を張って、その中で何やら祈り事をしている者を見かけた。

「何を祈っているのかな?」

と見ていますと、

置四面、其祝曰、従天墜者、従地出者、従四方来者、皆離吾網。

四面を置(もう)け、その祝して曰く、「天より墜つるもの、地より出づるもの、四方より来たるもの、みな吾が網に離(つ)け」と。

四方に網を張って、そこで願い事を唱えた。その言に曰く、

「天より降りくるものよ、地より昇りあがるものよ、四方より寄り来たるものよ、みなわが網にかかれ」

と。

湯はこれを聴きまして、

嘻、尽之矣。非桀其孰為此。

嘻(ああ)、これを尽すなり。桀にあらざればそれ孰(たれ)かこれを為さん。

「なんとまあ、これは全部取りしようという願い事でちゅよー。今を時めく夏国の桀王さまでも無ければ、そんなことをするものではありません」

と言いますと、祈りを捧げていた者のところへどかどかと近づいていきまして、

解其三面、置其一面。

その三面を解き、その一面を置(もう)く。

三方の網をはずしてしまい、一面だけをそのまま残した。

「あ、こら、何をなさるのじゃ・・・と見れば、我らの部族の長である湯さまではないか」

と驚いているその人に向かいまして、

「こう祈ってくださいよ」

と、

更教之祝。

更にこれに祝を教う。

あらためて、祈り方を教えてやったのである。

その祈りは、以下のごとし。

昔蛛蟊作網、今之人循序。欲左者左、欲右者右、欲高者高、欲下者下。吾取其犯命者。

昔、蛛蟊(ちゅうぼう)網を作り、今のひと循序せり。左せんとするものは左し、右せんとするものは右し、高からんとするものは高くし、下らんとするものは下れ。吾はその命を犯すものを取らん。

太古のむかしより、クモは網を設けて来た。いま、われら人類もそれを真似る。(クモのように一方向だけに網を張った。)

左に行きたいものは左に、

右に行きたいものは右に、

上に昇りたいものは上に、

下に降りたいものは下に、

それぞれに行くべきところに行け。

わがコトバに従わず、まっすぐ進もうというものだけ、我が網に捕らえられよ。

さて、結果は―――?

漢南之國聞之、曰、湯之徳及禽獣矣。四十国帰之。

漢南の国、これを聞きて曰く、「湯の徳は禽獣に及べり」と。四十国これに帰す。

漢水以南に棲む部族の者どもは、このエピソードを伝え聞いて、言い合った。

「湯どのは鳥やケモノにも正当に接する、心正しいひとらしいぞ」

かくして、四十の部族が湯の配下となったのだ。

ああ。

人置四面而未必得鳥。湯去三面置其一面、以網四十国。非徒網鳥也。

人、四面に置(もう)けていまだ必ずしも鳥を得ず。湯は三面を去りその一面に置(もう)けて、以て四十国を網せり。いたずらに鳥を網するのみにあらざるなり。

ふつうの人は、四方に網を張って、しかしそれでもどれぐらい鳥を捕れるかはわからない。ところが湯王は三方の網を外して一方だけ張って、それによって四十の部族を得たのである。鳥だけを捕まえていたわけではないのだ。

おしまい。

・・・・・・・・・・・・・

漢・劉向「新序」巻五・雑事より。なんとかこの湯王さまの教えを使って、「しごとはしない方がいいんでちゅよー」とおえら方たちにプレゼンできないものか。

 

次へ