平成29年12月17日(日)  目次へ  前回に戻る

たびびとは二度と帰らないかも知れない。

また平日が来るよー!

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「估客楽」(估客(行商人)の曲)という古いうたがありまして、これは

斉武帝之所製也。

斉の武帝の製するところなり。

南朝・斉の武帝(蕭賾。在位482〜493)がお作りになったものである。

武帝布衣時、常遊樊掾B登祚以後、追憶往事而作歌。

武帝布衣の時、常に樊・揩ノ遊ぶ。登祚以後、往事を追憶して作歌す。

武帝がまだ庶民だったときは、いつも東シナ海沿岸の樊や揩フ地に旅行に出かけていた。帝位に即かれて後、むかしのことを追憶して作った歌である。

どんな歌だったかというに、

昔経樊摶、 昔、樊・揩フ役を経て、

阻潮梅根渚。 潮に阻まる、梅根の渚。

感憶追往事、 感憶して往事を追えば、

意満情不叙。 意は満ちて情は叙(の)べられず。

 むかし、樊・揩フ地で仕事して、

 そのあと梅根渚で海水のために進めなくなったなあ。

 あのころのことを思い出すと、

 思いは満ち溢れ、ことばにしきれない。

というのであった。

梁改其名為商旅行。

梁、その名を改めて「商旅行」と為す。

梁の時代になってから、歌の名前は「商旅のうた」に改められた。

理由はわかりませんが、前代の皇帝の曲であることを嫌がったのかも・・・。

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と、唐・杜佑「通典」に書いてあるんです。

ところが、杜佑より後の人である李白に「估客行」(估客(行商人)のうた)というほとんど同じ名前のうたがある。

海客乗天風、 海客は天風に乗じ、

将船遠行役。 まさに船をもて遠く行役せんとす。

譬如雲中鳥、 たとえば雲中の鳥の如く、

一去無蹤跡。 ひとたび去りては蹤跡(しょうせき)無し。

 貿易商人のあの人は、空から吹く風に帆をあげて、

 「さあ船を出すぞ、遠い国まで仕事をしに行くんだ」てさ。

 あなたは雲のかなたに飛んでいく鳥みたいなもので、

 行ってしまえばもうあとかたも無くなる―――わたしを忘れてしまうでしょう。

貿易商人を見送る女のうたになっている。

このうたと、「估客楽」との関係は如何に。

明の胡震亨曰く、

估客行即西曲之估客楽。

「估客行」は即ち、西曲の「估客楽」なり。

(李白の作った)「行商人のうた」は、西域音楽の「行商人の楽曲」そのものなんですなあ。

斉の武帝が作った、というのがそもそもの間違い。

西域音楽の中に、次のようなうたがある。

長檣鉄鹿子、 長檣の鉄鹿子、

布帆阿那起。 布帆、阿那(あ・な)に起こる。

詫儂安在間、 儂(われ)に詫ぶるもいずこの間に在りや、

一去数千里。 一たび去りては数千里。

 高いほばしらの上には鉄のリール、

 布の帆はどこから出てきたのか(というように、あっという間に張り上げられた)。

 あんたはあたしに何やら言い訳してた―――はずなのに、どこに行ったの?

あっという間にもう数千里のかなた。

これが「估客楽」。

李白は、この「一たび去りて数千里」(あっという間にもう数千里のかなた)を「一たび去りて蹤跡無し」(行ってしまえばもうあとかたも無い)に替えてしまったのである。

更難為情。

更に情を為し難し。

一段と感情を制御しがたいツラい状況ではないか。

と思いませんか。

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李太白「估客行」「李太白全集」巻六所収)。

おいらは明日の朝までに身をくらませて、李白の「估客行」のように、「ひとたび去ってもうあとかたも無い」になる、と思います。それほど追い込まれてきたぞー。うわー。

 

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