平成29年10月15日(日)  目次へ  前回に戻る

ぶた鉄の職員。ぶた鉄は正確性よりも安全性、安全性より昼飯時間、という社是だからよいのだが・・・。

また明日になると平日が来るんです。おいらはぶたになったのでもう働かなくていいのですが、ニンゲンはいつまで働くのか。

むかしのチャイナびとは骸骨になったあとも子孫に影響を与えて働き続けるとされていたようです。

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先祖を葬った墓地の場所によってその家の子孫に富貴の吉運あるいは貧賤の凶運がもたらされる、とする「陰宅風水」論のはじまりは、なかなか古いものがございますが、チャイナの中でも安徽あたりのひとは非常にそれを重視しており、同地方の裁判沙汰の半分以上はこの問題に関連しているといっていいほどであったそうです(明代調べ)。一族単位でいい墓地の場所を争って、訴訟沙汰はまだしも、実力を揮って占拠したり、相手が知らない間に乗っ取ってしまったり、いろんな事件が繰り返された。

十六世紀の末年に朱従志とその仲間のようなグループが現れたのもよしなしとしない。

このグループの中にはいろんな専門家がいて、

詭知地術、杜撰妖書、創製鬼印、鉄車、槹械、鑽石掘磚、無堅不入。

地術を詭知し、妖書を杜撰し、鬼印を創製し、鉄車、槹械にて石を鑽(き)り磚を掘り、堅くして入らざるということ無し。

風水術についてこじつけを交えた知識を持ち、怪しい予言書を編集し、死者の世界の印鑑を勝手に製作し、あるいは鉄の歯車やはねつるべなどの機械を使って石に穴を明け、レンガを掘り出し、どんなに堅牢な墓地にでも入ることができた。

文系理系の力を総合していた。彼らはこの技術を用いて、どこかに成功した家があると、別の一族に、あの家が栄えているのはその墓地のおかげであるといろんな理論やニセの書物を用いて教え込み、死者の権利書をでっち上げて、その墓地を乗っ取ろうという気にさせるのである。

そうして、秘密裡に契約を結ぶと、墓の乗っ取りを実行する。

毎発冢時、必外張皮帳、以掩燭光、布盛草土、以覆故跡。

つねに発冢の時には、必ず外に皮帳を張り、以て燭光を掩い、草土を布盛して以て故跡を覆う。

墓を掘り起こすときには、まず外側に皮のカーテンをはりめぐらして、深夜の作業時の灯りが漏れないようにし、終わったあとは草や土を精巧に盛り上げて、作業をしたあとがわからないようにするのである。

その技術のたくみなことは、

穴大如斗而賊徒朱明号穿山甲者、縁穴出入、其捷如神。毀棺易屍、任従簸弄。

穴の大いさ斗の如くして、賊徒・朱明、穿山甲と号する者、穴に縁りて出入し、その捷きこと神の如し。棺を毀ち屍を易(か)え、よりて簸弄(はろう)を任(まま)にす。

一斗升ぐらいの大きさの穴(直径二十センチぐらいでしょうか)さえあければ、「センザンコウ」の朱明とあだ名されるやつがその穴から出入りする。もぐりこみ、這い出して来るその速さは神業といえるほどで、墓穴の中の棺桶をぶっこわし、死体を入れ替え、とにかくしたい放題なのだ。

死体を入れ替えることによって、それまで入っていた死体の子孫に与えられた吉運を、新しい死体のやつの子孫に与えることができるようになります。・・・「なんで?」と言われても困ります。そういうイデオロギーなので。憲法〇条があると周辺国家が攻めてこない!というのと同じです。なお「簸」(ハ)は箕を用いて穀物などを投げ上げたりしながら選り分ける(「ひる」)ことをいいますが、ここでは「簸弄」(はろう)と熟して「翻弄」と同じ意。

こうして、墓地の中に

或男女相混、或一擲数骸、或入贋骨以雑真、或出真骨以入贋、如是者数年、毒流縉紳之家、不下数万。

あるいは男女相混ぜしめ、あるいは数骸を一擲し、あるいは贋骨を入れて以て真に雑え、あるいは真骨を出だして以て贋を入れ、かくの如きこと数年、縉紳の家を毒流すること数万を下らず。

男女の死体をまぜこぜにしてしまったり、数体分の骸骨を一か所に放り込んだり、他の家の死者の骨を入れて本来の死者の骨と混ぜ合わせたり、本来の死者の骨を取り出してしまって他の家の死者の骨を入れたり、そんなことを数年間続け、各地の富貴の家、家柄のある一族の墓に悪い影響を与えること、おそらく数万件に及んだであろう。

数年で数万件というのは過多に見積もりすぎているように見えますが・・・・。

さて、とうとう

萬暦己亥歳、事発、坐死者十六人、論遣者四人、擬徒者三十余人、其脱逃者甚夥。

萬暦己亥の歳、事発(あら)われ、坐して死する者十六人、遣を論ぜらるる者四人、徒に擬する者三十余人、その脱逃する者はなはだ夥し。

萬暦二十七年(1599)、事案が明らかとなり、この事件により死刑に処せられた者は十六人、流罪になった者四人、懲役刑とされた者三十余人となったが、さらに逃亡して罪を逃れた者が非常に多数に上った。

ということになりました。「センザンコウ」の朱明もヤラれてしまったんでしょうね。

嗟乎。不劫人之財、而劫人之命脈、不殺一二人、而殺千万人。惨過於採生、罪浮於劫奪、真出於耳目見聞之外。

嗟乎(さこ)。人の財を劫せずして人の命脈を劫し、一二人を殺さずして、千万人を殺す。惨たること生を採るに過ぎ、罪は劫奪より浮し、真に耳目見聞の外に出でたり。

ああ。他人の財産をおびやかすのではなく、他人のいのちのつながりをおびやかす。一人も殺さないのに、数千・数万のひと(の運勢)を殺す。生きた人に対する犯罪よりも残虐であり、強奪よりもひどい罪であるといえよう。まことに見たり聞いたりしたことのない大事件であった。

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「続耳譚」巻三より。先祖をあんまり大切にしない(なにしろ33年か50年経つとみんな名も無い「神さま」になってしまうんです。by柳田國男先生)二ホン人にはわからないかも知れませんが、すごいおそろしい事件でございました。

「生きた人コロすよりも悪いことだと言っているが、骸骨入れ替えるのは実際に人をコロすよりはまだマシでは・・・」というのは東洋的伝統文化の尊重ということを知らぬ愚か者の言でありましょう。でぶー。なお、今日は雨で大学野球も中止だったので、また実地調査に。

 

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