平成29年10月14日(土)  目次へ  前回に戻る

せっかくのお休みだが雨である。

週末である。明日一日だけは休み。ぶたとはいえ、今日はるんるんである。

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るんるん系の詩でも読んでみます。

今夜明月的流光、 今夜、明月の流光、

映在我的心花上。 我が心花の上に在りて映ゆ。

 今夜は、明るい月の光が降り注ぎ、

 おいらの心という花びらの上に射しこんで輝いているのさ。

我悄立海辺、   我、海辺に悄立し、

仰聴星天的清響。 仰ぎて星天の清響を聴く。

 おいらは今、海辺にぼんやり立って、

 振り仰ぐ星空の美しい音楽を聴いているのだ。

一朶孤花在我身旁睡了、一朶の孤花、我が身の旁らに在りて睡り了し、

我把着她夢裏的芬芳。 我は把着す、她(た)の夢裏の芬芳を。

 ひとひらの花は、おいらのそばでぐっすり眠っている―――

 おいらは今このとき、あの子の夢の中の花の香りを嗅いていたのさ・・・

へー。

そうなんですか。

・・・と、思いきや、るんるんはここまででした。

阿。夢呀、夢呀。 ああ。夢なるや、夢なるや。

明月的夢呀。   明月の夢なるや。

 ああ、夢だったのだ、夢だったのだ。

 明るい月の下で、見た夢だったのだ。 

她在尋夢裏的情人、她は夢裏の情人を尋ねて在らむ、

我在念月下的故郷。我は月下の故郷を念いて在り。

 あの子は夢の中で、あの子の恋人のあとを追いかけているだろうさ、

 おいらはふるさとのことを思い出しているのさ、同じ月の下の、はるか彼方のふるさとを。

ということで、現実に戻ってきました。

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康白情「東海浜」詩。

康白情は1896年四川の生まれ、北京大学に学び五四運動に参加。後、アメリカ留学を経て帰国するが、帰国後には革命勢力と絶縁し、アヘンを常用して軍閥政権に参加していたんだそうです。1947年に「新中国」が建国された後、海南島で教鞭をとっていたが、1958年に至って「右派」として糾弾されて失職し、四川に帰郷途上、長江遡上の船上で病死。最近では再評価もされているようですが・・・。

1920年前後の詩を集めて在米中に出版した詩集「草児」所収。こういう詩が好きなわけではないんですが、チャイナ言葉でもこういう詩が作れるということと、チャイナにもこんな青春(の認識)があったのだ、ということをご紹介したくて引用してみました。(「支那艶詩選」より)

日本だと

 まつくろけの猫が二疋、

 なやましいよるの家根のうへで、

 ぴんとたてた尻尾のさきから、

 糸のやうなみかづきがかすんでゐる。(萩原朔太郎「猫」)

ころでおぎやあす。おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ。

なお、おいらはぶただから青春は無いでぶー。

 

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