平成29年5月7日(日)  目次へ  前回に戻る
「人生いろいろありモグが、なにもしないでいるのがいちばんでモグ」とぶた天使に人生観を披歴するモグ。いや「モグ生観」か。

連休終わってしまいました。連休だけを楽しみにやってきたんで、もうおしまいだー、人生も。・・・というぐらいガッカリですね。

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「おまえはあちこち(例えば→ここなど)旅してきたそうではないか。これまでにいちばん感動した風景について歌ってみることを妨げぬぞ」

とお偉方にご示唆いただきました。

早速、ドラも運ばれてきましたので、

「では、「太行山のうた」をうたわせていただきまする」

わしは聲を整えて歌い始めた。

じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・(ドラの音)

上客坐高堂、 上客、高堂に坐(いま)して、

聴僕歌太行。 僕が太行を歌うを聴く。

 おえらいお方が上座にお座りになって、

 やつがれの「太行山の歌」をお聴きくださる。

わたしはもともと江南・浙江の生まれでございますが、生まれすぐにおやじが山西に赴任しましたから、わたしが物心ついたのは山西の晋陽の町でございました。やがておやじが四年の任期を終えて、それに従って都に戻ってまいったのでございます。

六歳従先公、 六歳、先公に従い、

騎馬出晋陽。 騎馬して晋陽を出づ。

 六歳のとき、死んだおやじに連れられて、

 馬に乗せられ晋陽の町を出たのであった。

遥循厚土足、 はるかに厚土の足に循(したが)い、

忽上天中央。 忽ち天の中央に上りぬ。

 一歩一歩大地が厚くなってくるような登り道を昇り、

 突然、大空のど真ん中(かと思われる高地)に出た。

そこは、

但聞風雷声、 ただ風雷の声を聞くのみ、

不見日月光。 日月の光を見ず。

 (雲に覆われて)すさまじい風の音と雷鳴が聞こえるばかりで、

 太陽も月も見えなかった。

それぐらい高く、険しいところだったのです。

狐兎繞馬蹄、 狐・兎は馬蹄を繞り、

虎豹嘷樹旁。 虎・豹は樹旁に嘷(な)く。

衡跨数十州、 衡(よこし)まに数十州に跨り、

四面殊封疆。 四面は封疆を殊(こと)にせり。

 キツネやウサギがわたしの乗った馬のあしもとにまとわりつき、

 トラやヒョウが道ばたの樹々に隠れて吼えていた。

 この山脈は数十の行政区域を横断しており、

 どの方向もかつては異なった国であった(という辺境の地なのだ)。

ああ、

童心多驚壮、 童心には驚壮多く、

慄気已飛揚。 慄気はすでに飛揚せり。

 コドモの心にはびっくりしたりドキドキしたりすることばかりで、

 恐怖心もあっという間に吹っ飛んでしまった。

さて。

わたしはそれから都で育ち、それからおやじが郷里の江南に引っ込んだので、それに伴って江南で成人した。

自来江南郡、 自来、江南郡、

佳麗称吾郷。 佳麗、吾が郷を称す。

 むかしから、江南の

 わたしのふるさとは美しく、ステキなところと称されている。

けれど、

邈哉雄豪観、 邈(はる)かなるかな、雄豪の観。

寤寐不可忘。 寤寐(ごび)に忘るべからず。

 はるか幼いころの記憶の、あの太行山脈の雄々しく猛々しい風景を、

 いまでも昼間に思い出し、夜の床でまた夢に見るのだ。

人生非太行、 人生まれて太行のあらずんば、

耳目空茫茫。 耳目むなしく茫々たらん。

 この世にあって太行山脈の旅を経験しないでいたら、

 耳も目もくだらぬものを見聞きしているだけになるだろう。

「・・・でございましたー」

じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・(ドラの音)

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おえらがたに喜んでいただけましたでしょうか。

明・祝允明「太行歌」(太行のうた)でございました。

結句の「人生まれて太行のあらずんば、耳目むなしく茫々たらん」は、「キビシイ境遇を経験しないと、人生の本当の喜びや楽しみを知ることはできない」という教訓としても使われる佳句、なんだそうでございます。

けれどキビシイ境遇はもうイヤだなあ。

 

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