平成29年4月19日(水)  目次へ  前回に戻る

立派に修行を積んだ僧侶には光背が現れるという。光背を得たあとで還俗したりして、光背つきで日常生活をするのは人に隠れた行為などもできず、難しいかも知れない。

今日は職場でかなりの時間居眠りしていた。出勤するのがどんどんムリになってきていて、そろそろ隠居するしかないような気がしています。

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金の承安年間(1196〜1200)に進士となった(いく)、字・子文は、洛州のひとである。

有力者の娘と結婚して、官途について将来有望であったが、

睹時政将乱、一旦棄妻子、径入嵩山。

時政のまさに乱れんとするを睹(み)て、一旦妻子を棄て、嵩山に径入す。

ある日の朝、時の政治が乱れはじめたのを感じて、突然妻子を棄てて、嵩山に入ってしまった。

そして、

剪髪為頭陀、自号照了居士。

髪を剪りて頭陀(ずだ)と為り、自ら照了居士と号す。

髪を剃って乞食坊主になり、自ら照了居士と名乗った。

合わせて名前を「知非」、字を「無咎」と変えた。「非を知れば咎無し」(これまでの間違いに気づいて態度を変えれば、困ったことはならない)という意志であったようだ。

そうして、

苦行自修。

苦行し自修す。

自ら課して苦しい修行を行った。

朝廷でははじめ「偽りの出家ではないか」と疑って、監査官まで派遣して連れ戻そうとしたのであるが、

知其非矯偽、乃止。

その矯偽にあらざるを知り、すなわち止む。

苦しい修行をしているのを見て、彼の出家が誤魔化しの無いものであることがわかったので、許しおくこととなった。

こんなことがあったので、

当世号王隠居、名甚高。

当世、王隠居と号して、名はなはだ高し。

当時のひとたちは(役人としての名利や妻子を棄てて出家した王揩)「王隠居さま」と呼んで、たいへん称賛したものであった。

ところが・・・・・

後十余年、忽下山帰其家、復与妻子如旧。妻死、更娶、又為洛陽行省参議。

後十余年、たちまち下山してその家に帰り、また妻子と旧の如し。妻死し、さらに娶り、また洛陽行省の参議と為る。

それから十数年後、突然嵩山から下りてきて自宅に帰り、還俗して女房子どもと昔のように暮らし、そのうち女房が死ぬと再婚した。仕事も再度就職して、洛陽総督府の参議となった。

そうこうしているうちに、

遭乱、不知所終。

乱に遭いて終わるところを知らず。

モンゴルに攻められたときの混乱の中で、行方知れずになってしまった。

のであった。

せっかく先見の明あって山中に入ったのに、結局俗世の乱れの中で命を落としたのである。

嗟乎、有始有卒者難矣哉。

ああ、始め有りて卒(おわ)り有るものは難いかな。

それにしても、最初は立派でも最後まで立派でいるのは、難しいことではないか。

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金・劉祁「帰潜志」巻第五より。

このひとがどういう意志なり事情があって現世に戻ってきたのか、なかなか推測しがたいのですが、わたしは戻ってきません。安心して許しおきいただきたい。

 

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