平成29年2月21日(火)  目次へ  前回に戻る

あわれなるかな、ドウブツたち。ぜひ10円ぐらい恵んでほしいものである。今日は駅であわれに転んでしまった。

今日は朝から転んでしまい、足ねんざ。まあ会社辞めちゃったから、無理して出勤とかしなくていいので楽ちんであるなあ。

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最近よく転ぶんです。この間はメガネ壊れてしまいましたが、今回はねんざで、物的被害が無かったので資本主義的にはよかったなあ。

語云、一錯二誤。最好理会。

語に云う、「一たび錯まれば二たび誤まる」と。最もよろしく理会せよ。

よくいう言葉に「一回失敗するともう一回失敗するよ」という。本当によく理解しておかねばならない。

これは同じ失敗をする、という意味ではなく、同じ場でもう一回(別の)失敗をする、ということのようです。

凡一錯者必二誤。蓋錯必悔怍、悔怍則心凝於所悔、不暇他思、又錯一事。

およそ一たび錯まるものは必ず二たび誤まるなり。蓋し、錯まれば必ず悔怍(かいさ)し、悔怍すれば心悔ゆるところに凝り、他思に暇あらざれば、また一事を錯まつなり。

なんでもかんでも物事は、一回失敗するともう一回失敗するものである。これは、失敗すると必ず後悔しておじけづくから、後悔しておじけづくと心はその後悔したことに集中してしまい、他のことを考えるようなゆとりが無くなってしまう。こうしてまたもう一回続けて失敗をするのであろう。

是以無心成一錯、有心成二誤也。

是を以て無心にして一錯を成し、有心にして二誤を成すなり。

こういうわけで、一回めは無意識のうちに失敗し、二回めは意識し過ぎて失敗する、というわけである。

―――そうか、失敗しても気にしなければいいんですね。

と思ったのですが、そうではないそうで、

礼節応対間、最多此失。苟有錯処、更宜鎮定、不可忙乱。一忙乱則相因而錯者無窮矣。

礼節応対の間に、最もこの失多し。いやしくも錯処有れば、さらによろしく鎮定すべく、忙乱すべからざるなり。一たび忙乱すれば、相因りて錯まる者窮まり無からん。

礼儀を踏んだり挨拶したりするときに、このタイプの失敗(続けて失敗する)がいちばん多い。もしも失敗した、と気づいたら、特に心を落ち着けて続きをしなければならない。「あわわわわわ」とばたばたしてはいかん。いっぺん「あわわわわわわ」とばたばたしてしまうと、次から次へと失敗してしまい、途切れることがなくなってしまうよ。

でも人ごみの中で転んだりすると、「あわわわわ、なんでもありません、大丈夫大丈夫」とあわてて立ち上がって、どこか打っててもどこも痛くないふりをしてその場を去らないといけないので、たいへんである。

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明・呂坤「呻吟語」前集127則。今日は帰りに整骨院に行ってきてぐるぐる巻いて来てもらったが、ずきずきするのでホントに「ぎぎぎ」と呻く「呻吟語」になっている。みなさんも「あはは、肝冷斎め、いい気味だ」などと嗤ってないで、自分の足元に気をつけなければなりませんぞ。

 

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