平成28年12月16日(金)  目次へ  前回に戻る

「ぶにぶに」海面近くまであがってきたアンコウくん。水圧が低くなってくるとどんどん持ち上げられて、いずれ「ずどーん」と落とされるよー!

やっと週末。毎週長いが今週はすごく長かった。ゆっくりトイレで本でも読むか。

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書物を持ってトイレに入ると、ぼよよ〜ん、とトイレ童子が出現いたしました。

トイレ童子の曰く―――

明の時代のことでございまちゅるが、山西の劉某というひと、

少有神童之目、九歳遊庠、中年猶是青衿。

少(わか)くして神童の目有り、九歳にして庠に遊ぶも、中年なおこれ青衿なり。

「詩経」子衿篇に学校に通う貴公子をほめたたえて曰く、

青青子衿。 青々たる子の衿よ。

青い青い、あなたのすてきな衿の色。

というに基づき、学校の生徒のことを「青衿」といいます。

少年時代には神童と目され、九歳で県の学校に入学したが、中年になっても(一度も試験に合格することなく)なお学生のままであった。

幼いころは称賛されたのに、大人になって「ずどーん」と落とされたんですな。

「なぜこんな人生になってしまったのであろう・・・」

と考えたあげく、

恒怨先世有遺行、不応子孫顕達、孤負其才。

恒に先世に遺行あるも、子孫の顕達に応ぜざることを怨み、その才を孤負せり。

いつも、「ご先祖はよい行いをしたのに、どうやら子孫の出世には影響しないようだ」とぶつくさ言い、自分は才能があるとひとり自負していた。

そんなある晩、

故父忽現形。

故父たちまち形を現わす。

死んだおやじが突然姿を現わした。

幽霊です。

「うひゃあ」

と驚くひまもなく、劉に向かっておやじの幽霊は言った。

「我が子よ。おまえは本来、試験に高位で合格して、翰林院に名を連ねるはずであった。ところが、

於大便時、溺器上観書、褻瀆聖賢、削奪福禄。

大便の時、溺器上に書を観、聖賢を褻瀆して福禄を削奪せられたり。

うんこをするとき、便器の上で書物を読んだことがあったであろう。このため聖賢を汚すことになり、幸福と高給の運命を削り奪われてしまったんじゃ」

と。

「ええー?」

と驚く息子に向かって、おやじの幽霊は附け加えた。

杭州余太史名集者亦犯此衍。幸命註禄厚、尚不失為庶常。再怨尤、必増罪戻。

杭州の余太史、名集なる者もまたこの衍を犯せり。幸いに命註の禄厚く、なお失わず庶常たることを。再び怨尤せば、必ず罪戻を増さん。

「杭州の余書記官、集という名前のひともやはり同じ過ちを犯しておる。ただあちらはもともとの運命に書かれていた給与がたいへん多かったので、(減らされたとはいえ)なんとか田舎の役人にはなれたのだ。よいか、自分のせいでこうなったのに、そのことを怨んでいれば、今よりもっと罪が深くなるのだから、もう文句を言うではないぞ」

それだけいうと、おやじは

倐不見。

倐として見えず。

あっという間に姿を消してしまったのであった。

(ほんとうのことなのだろうか)

劉はついに昨年の秋、道中の食糧を用意して杭州に行き、余集という役人を探し当てた。

余集に面会を求めて、

問知果嘗臨溺観書。

問いて果たしてかつて溺に臨んで書を観しを知る。

「あなたはかつてトイレで本を読んだことがありますか?」

と訊ね、果たしてそうであったことを知った。

「ああ、では、おやじ殿のコトバは本当であったのだ。わたしは高官になる運命を自分の手で失ってしまったのだ・・・!」

と、

大哭而去。

大いに哭して去りぬ。

大声で泣きわめきながら帰って行った。

余集という人は

毎観書至不忍釈巻、適下急、亦携登溺器。

つねに書を観て巻を釈くことに忍びざるに至り、下急に適(あ)えば、また携えて溺器に登れり。

いつも書物を読んでいて途中でやめられなくなってしまったとき、おなかが下ってくると、やはり書を携えたまま便器にまたがっていたのである。

ずっと気にせずにいたのだが、劉からその大泣きするわけを聴いて、

不知福命如何、能免削尽余衍否、為之惴惴。

福命の如何、よく削尽を免れて衍を余せしや否やを知らず、これが為に惴惴たり。

本来の幸福がどれぐらいあったのか、削られのこって今の地位を保っているとはいえ、まだ罪が残っているのかどうかなどが心配になって、げっそりしてしまった。

・・・のでございまちゅ。

ああ、トイレで本を読むとたいへんなことになるカモよー。うっしっし。

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と言いまして、トイレ童子は消えていきました。

清・朱海「妄妄録」巻十一より。ああ、わたくしもトイレで本を読まなかったならばどれほどの好運を持っていたのであろうか。もったいないことをしたなあ。こんな人生になってしまうとは。

 

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