平成28年12月15日(木)  目次へ  前回に戻る

「ぶにぶに」「美味そうなアンコウくんがいますねー」冬場はヒマなカッパは、往々にして深海にまで至るという。しかしカッパ社会は意外と豊かで困窮していないので、アンコウくんを食べたりはしない。

昨日今日と何かに追われるように食い過ぎ、いよいよ動悸がひどくなってきた。おまけに年の瀬も押し詰まって、心身ともに困窮してまいりました。

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世謂詩人少達而多窮。

世に謂う、詩人は達少なくして窮多し、と。

世間では、「出世した詩人はあんまりいないが、困窮した詩人というのは多い」と言いますね。

凡士之薀其所有、而不得施於世者、多喜自放於山巓水涯之外、見虫魚草木風雲鳥獣之状類、往往探其奇怪。

およそ、士のその有するところを薀(つつ)みて、世に施すを得ざる者は、多く山巓・水涯の外に自ら放ち、虫・魚・草・木・風・雲・鳥・獣の状類を見て、往々にしてその奇怪を探るを喜ぶ。

だいたいのところ、気骨あるひとで、その能力や志を包み隠して、(官職や地位を得て)世の中のために用いることのできない者は、山のいただき、水際の、さらに向こうへと自分を放って、むし、うお、草木、風や雲、鳥や獣の姿をみて、それらの不思議な根源を調べようとするのを喜ぶことが多いものである。

彼らは、

内有憂思感憤之欝積、其興於怨刺、以道羇臣寡婦之所歎、写人情之難言。

内に憂思・感憤の鬱積する有れば、その怨刺に興り、以て羇臣・寡婦の歎ずるところを道(い)、人情の言い難きところを写すなり。

内面に憂愁や憤慨の感情がたまりこむと、不平や批判の形でバクハツして、流された臣下やら取り残された寡婦やらの嘆くところを語り、ひとの心のなかなか表現しづらいところをコトバにするのである。

けだし、

愈窮愈工。然則非詩之能窮人、殆窮者而後工也。

いよいよ窮すればいよいよ工(たく)みなり。然ればすなわち詩のよく人を窮するにあらず、ほとんど窮者にして後工なるなり。

困窮すれば困窮するほど、うまく表現するのである。ということは、詩を作ることによって困窮するのではない。おそらく困窮してこそ、詩が上手になるのである。

わしの友だち、梅聖兪くんも貧乏で困窮していたので、すばらしい詩を作った。彼が亡くなったので、彼の遺作を整理して、序文を書いたので、読んでください・・・・(下略)

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宋・欧陽脩「梅聖兪詩集序」(「唐宋八大家文」巻十一所収)。

「いよいよ窮すればいよいよ工(たく)みなり。」これは有名なフレーズですね。

若いころは人生がどんどん困窮してくるものだとは想像できていなかった。年を重ねてどんどん困窮してまいりました。おいらも詩人になっていたらかなりの詩人になっていたかも知れんぞ。

たんぽぽは地の花 詩人は不遇でよし 寺山修司

 

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