平成28年12月9日(金)  目次へ  前回に戻る

今日も冬眠を続けるクマ。ハラが減ってきたのか食い物の夢を見る。おいらも実質的に冬眠しているのと同じような生き方である。

今日はエラいひとの会合だったのに、アルコールの力にてまた居眠りしてしまった。それでもなんとか生きて週末を迎えたのだ。すさまじい生命力であるといえよう。

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お酒飲むと眠ってしまうのはしようがないですよ。むかしの人もそうだったそうです。

酒力欺人正作眠、 酒力ひとを欺きてまさに眠りを作(な)し、

夢中得句忽醒然。 夢中に句を得るもたちまち醒然たり。

 お酒の力は思ったよりも強くて、ひと眠りしてしまった。

 夢の中でキモチよくいい句が出来たような気がしたが、醒めてしまったら覚えてない。

酔っているうちにもぐりこんだベッドの上で、夜の物音を聞いている。

寒生更点当当裏、 寒は生ず、更点当当(とうとう)の裏(うち)、

雨在梅花簌簌辺。 雨は在り、梅花簌簌(そくそく)の辺(あた)り。

「更点」(こうてん)というのは、当時、夜を五更に分けて、その更ごとに巡邏がドラを鳴らした、その時報のこと。「当当」(とうとう)は「ドンドン」、ドラの音の擬音です。「簌簌」(そくそく)は雨粒や花びらがひそやかに落ちる時の擬音で、「はらはら」とか「しとしと」に該当します。

(遠くの)夜回りのドラのドンドンという音の中から、寒さが生まれてきたのだろうか(寒くなってきました)。

雨粒は梅の花がひそひそと落ちるあたりにあるのだろう(しとしとと雨が降っているようだ)。

これはどうやら春の詩です。さて、居眠りでもしているうちに、はやく春が来ないものか。

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宋・楊誠斎「書斎夜坐」絶句。誠斎・楊万里は南宋の大詩人で、放翁・陸游や南湖・范成大らとともに四大家と称せらる。政治家としてもエラくなった人で、朱子の友人でもあられるいろいろエラいひとである。自分で自分の語録風の「庸言」という箴言集を作っていて、それ読んでいると、実にバランスのとれた良識人であったものと想像せられるのである。

○楊子曰、頭垢則思沐、足垢則思濯。心垢則不思沐濯焉、何哉。

楊子曰く、頭垢すればすなわち沐を思い、足垢すればすなわち濯を思う。心垢すればすなわち沐・濯を思わざるは、何ぞや。

わたくし楊先生のお言葉―――「頭が汚れたら頭を洗おうと思うでしょう。足が汚れたら足を洗おうと思うでしょう。ところが、心が汚れても洗おうと思わない。どういうこっちゃ?」

○楊子曰、有心而弗治、子有庭内弗灑弗掃者也。有師友而弗問、子有鐘鼓弗鼓弗考者也。

楊子曰く、心有りて治めざるは、子に庭内有るも灑(そそ)がず掃かざるものなり。師友有りて問わざるは、子に鐘鼓有るも鼓せず考(う)たざる者なり。

わたくし楊先生のお言葉―――「せっかく心がありながら、それを立派に育くまないのは、あなたがいい庭のある家に住んでいながら、水も撒かねば掃きもしないのと同じです。せっかく先生やともに道に進む朋友がありながら、彼らに助言を求めないなんて、あなたが鐘や太鼓を持っていながら、鐘を鳴らしたり太鼓を叩いたりせずに放っておくのと同じですよ」

などなど。

 

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