平成28年12月4日(日)  目次へ  前回に戻る

ツラい苦しい平日が迫ってきております。ああ、ハニワのように物言わず土中にありたいものを。

「日本タヒね」という言葉が流行ってるそうですね。おいらはあんまり聞かないけど、世間ではみんな口にしてるんだろうなあ。おいらも日本の一部だから、おいらもタヒね、と思っているのかなあ。ツラいなあ。そして、明日はまたまた月曜日。うひゃあ。ウツウツしてきたぞ。

と、こんな時は、自分よりツラい目に遭っているやつのことを考えるぐらいしか思いを遣る方法を知らないわたしどもでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嗟君向質屋。 嗟(さ)す、君が質屋に向かうを。

欲曲非強留。 曲げんと欲するを強いて留めるにはあらざるなり。

 ああ―――。同情してため息をついてしまうなあ。君が質屋に向かっていることには。

 質に入れようとするのを強く押しとどめよう、というのではないけれど。

曲げる」というのは江戸時代の粋な言い方で、「十」の縦棒を曲げると「七」になるので、「七」を「質」に掛けて、物品を質に入れることを「曲げる」といったのだそうでございます。

越月特難受、 月を越ゆれば特(こと)に受け難く、

経年多易流。 年を経れば多く流れやすし。

質屋の利息は一か月ごとに計算されます。また八か月経つと流し(転売)してもいい定めだったそうです。

 一か月以上経過するといちだんと(お金を返して)請け出しづらくなるが、

 一年もするとたいてい流れて転売されてしまっていることになる。

利高雖揉気、 利は高く気を揉むといえども、

際近勝県頭。 際(きわ)近くして頭を縣(か)くるに勝(まさ)る。

今では都道府県の「県」ぐらいにしか使いませんが、「県」は本来「かける」と訓みます(今の漢字だと「懸ける」を使いますが)。旧字の「縣」は、本来「首をさかさまにして台の上に吊るす」の意(白川静先生の御教示による)。そういう首吊るし台が境界に設けられていたので、行政区域そのものを「縣」というようになったのだということです。

 利息が高いとキモチはもやもやするが、

 決算日(「際」)が近いのであるから、首を括るよりはまだましだろう。

相値問辛苦、 相値(あいあ)いて辛苦を問うに、

一無皆不尤。 一もみなもっともならざるは無し。

 出会ってツラい苦しい状況を聞けば、

 一つとして身につまされないことはない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

銅脈先生・畠中観斎「送人之質屋」(人の質屋に之(ゆ)くを送る)(「太平楽府」所収)。年末が近づいてまいりました。みんなツラく苦しいんだ。おいらだけではないのだ・・・。

はやくカジノなどでストレスを発散させられるようになりたいなあ。

銅脈先生・畠中観斎(1752〜1802)は、名を正盈、通称を頼母(たのも)と称した京都・聖護院の寺侍(寺院に仕えた下級武士)で、わずかに三石取りであったが、狂詩の名手で「東の蜀山人・西の銅脈」と謳われたほどの人だったんです。「太平楽府」は彼の作品集。

 

次へ