平成28年10月26日(水)  目次へ  前回に戻る

♪かーたちあーるモノは滅びる〜、弱きモノーから〜♬ (潰滅協奏曲より)

肝冷斎一族は度重なるシゴトや社会からの弾圧に耐えることができず、どうやら潰滅してしまったようです。昨日は一部の残党が関西方面に落ち行く姿も見られたということですが、今日はもうその痕跡さえ無い。

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消え去るものに心を留めることは、よろしくありません。いや、逆に、心を留められないからこそ、消え去るものは美しい、のカモ。

明霞可愛、瞬眼而輒空。 明霞は愛すべきも瞬眼にしてすなわち空し。

色づいた雲(朝な夕なの)は、とても心を惹かれるけれど、まばたきしている間に色移ろうて消えていく。

流水堪聴、過耳而不恋。 流水は聴くに堪えたるも耳を過ぐれば恋せず。

 流れる水の音は聴いていると素晴らしいけれど、耳もとを過ぎればそれ以上思いを募らせることにはならない。

いずれも自然に消え去っていくものですから。

人能以明霞視美色、則業障自軽。

ひと、よく明霞を以て美色を視ば、すなわち業障(ごうしょう)おのずから軽からん。

われわれが、もしもこの色づいた霞を見るようなキモチで美しいオンナを見ることができたなら、いやらしい心で作ってしまう罪業も、おのずと軽くなっていくであろう。

人能以流水聴絃歌、則性霊何害。

ひと、よく流水を以て絃歌を聴かば、すなわち性霊何ぞ害(そこな)われん。

われわれが、もしもこの流れる水の音を聴くようなキモチで弦楽器や人の声による音楽を聴くことができたら、甘美に浸って精神のそこなわれることが、どうしてあるだろうか。

すべてのものは壊れ滅んでいくのだ。美女も芸術も、いつまでもそのままであるわけがないのである。それに心を捕らわれていてはいけません。

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明・屠赤水「娑羅館清言」より。

それにしても肝冷斎一族は本当に滅亡したのであろうか。というより、ほんとにそんな一族がいたのか・・・?

ハハハハハ、あれは君、空想だよ。そんな事実があつたら、さぞ愉快だらうといふ僕の空想にすぎないのだよ・・・(中略)でもほんたうだとおもつてゐるあひだは面白かつただらう。この退屈きはまる人生もね、かうして、自分の頭で創作した筋を楽しんで行けば、相当愉快に暮らせやうといふものだよ。ハハハハ」

これで、この話はおしまひだ。肝冷斎一族※はその後だうしたのか、いつかううはさを聞かない。おそらく、旅から旅をさすらつて、どこかの田舎で朽ちはててしまつたのであらうか。(江戸川乱歩「百面相役者」(大正十四年)より。ただし、の部分は原文では「百面相役者」となっている)

 

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