平成28年10月24日(月)  目次へ  前回に戻る

タコ働きを経験するとニンゲンの幅が広がるカモ。生きて帰ってこれれば・・・。

今日から毎日、くじ引きで出勤者を決めることとなった。今日は十二指腸冷斎が当たったらしく「ぴーーーーーー」と泣きながら出かけていきましたが、夜になって、

「おれだって・・・、おれだってなあ・・・」

と居酒屋でとぐろを巻いているところを発見されて、長老たちに連れ帰されてきました。たった一日でこんなにやられるとは。

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まあまあ。この世に中には楽しい日もあるもんでございますぞ。

明の時代のことですが、嘉興府の西門、三塔寺前では

旧有漁船十余隻停泊其下。

旧(もと)、漁船十余隻のその下に停泊する有り。

以前は十余隻の漁船が、川べりに停泊していたものである。

これらの船には船上生活者が住んでいた。

有一漁翁与其媼、並八十多歳人、捕魚為業。

一漁翁とその媼、並びに八十多歳の人、魚を捕りて業と為せり。

その中に、夫婦ものの漁師のじいさんとばあさんがおりまして、どちらも八十いくつということであったが、魚を捕って暮らしておりましたんじゃ。

ある年の暮れ、除夜の夜のこと、じいさんとばあさんは、

沽酒烹魚、召諸子孫列坐船頭、共飲為楽。

酒を沽(か)い魚を烹、諸子孫を召して船頭に列坐せしめ、ともに飲みて楽しみを為せり。

酒を買ってきて、捕らえた魚を煮て、子供や孫たちを呼んで舟の先の方から順に座らせ、ともに酒を飲んで楽しい宴を開いた。

やがて夜も更け、酒も尽きてまいりました。

するとじいさんは言った。

阿婆、我今夜好帰去也。

阿婆(あば)、我、今夜よく帰り去らん。

「ばあさんや、わしは今夜、キモチよく帰ろうと思うんじゃ」

じいさん、船上で生活しているあんたが、ここを離れてどこに帰るのか―――と問う前に、じじいは

言訖、泊然而化。

言訖(おわ)りて、泊然として化せり。

話し終わるとただちに、もうすっぱりと死んでしまっていた。

老媼随応之曰、老漢慢走、待吾同行。

老媼これに随応して曰く、「老漢慢走せよ、吾を待ちて同行せん」と。

ばばあ、これにすぐ答えていう、

「おいぼれめ、ゆっくり行かんかい。わしを待ちなされ。いっしょに行きましょうぞ」

ばばあも、

須臾瞑目、亦坐亡矣。

須臾瞑目して、また坐亡せり。

あっという間に目を閉じて、やはり座ったまま死んでしまった。

「うわーん」

感動しました。

明日子孫尽鬻其漁具、得銭数百貫。

明日、子孫ことごとくその漁具を鬻ぎ、銭数百貫を得たり。

次の日、子供や孫たちは、漁具を全部売り払って、数百貫の銭に換えた。

これを以て三塔寺に依頼して、七日七晩にわたって二人の過去の罪障を除く法会を行い、自分たちも

折竿裂網、棄業改行。

竿を折り網を裂き、業を棄てて行いを改む。

釣り竿を折り、漁網を裂いてしまって、漁業を止め、生き方を改めた。

船上生活を止めて、殺生をしなくてもいい農業や商業にシゴトを換えたのであった。

こうして、三塔寺の前に停泊していた船は、今は一隻もいなくなったんじゃよ。

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明・銭希言「獪園」第五より。今日死んでしまった方がいいのカモ、と思う日は時々ありますよね。しかも今日は楽しいのに、明日シゴトのきついのがある、という日は特にあぶないといえよう。

 

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