平成28年3月4日(金)  目次へ  前回に戻る

シゴトや世間さまと闘う強い心があればなあ・・・。

週末だが、明後日はもう日曜日。月曜日の前の日なのだ・・・、と考えるとウツに。

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幸霊なる者がいた。

父母使守稲。

父母、稲を守らしむ。

幸霊のおやじとおふくろは、幸霊に収穫した稲を見張るように言いつけた。

「はい」

幸霊が積み上げた稲を見守っていると、

「もう、もう」

牛食之、霊見而不駆。

牛これを食らうも、霊、見て駆らず。

ウシがやってきて、この稲を食べ始めた。しかし、幸霊はそのウシを見つめているばかりで、追い払おうとしなかった。

幸霊はやがて、

牛去、乃理其残乱者。

牛去り、すなわちその残乱者を理(おさ)む。

ウシが去ってしまったあとで、残って散らばったものを集めなおした。

しばらくするとおやじとおふくろが帰ってきました。

稲の様子を見て、

「うわ、食われているぞ」

と驚き、

怒之。

これに怒る。

幸霊にむかって「おまえはなにをやっておったんだ!」と怒った。

「はい」

幸霊が答えるに、

物各欲食。牛方食、奈何駆之。

物おのおの食らわんと欲す。牛まさに食らう、いかんぞこれを駆らんや。

「生き物はみな、生きるためには食べねばなりません。ウシも生きるために食べていたのです。どうしてこれを追い払うなんてことができましょうか」

「うーん」

父母、あきれて言うに

即如此、何用理乱者為。

すなわちかくの如きも、何ぞ用って乱者を理(おさ)むるを為すか。

「それはそうとして、どうして散らばった残りものを集めなおしたのだ?」

「はい」

幸霊答えて曰く、

此稲又欲得生。

これ稲、また得て生きんと欲すればなり。

「それは、イネもまた生きようとしていたから、そのままにはできなかったんです」

・・・以上は晋の時代のお話。

此言有理。霊固有道者耶。

この言、理有り。霊、もとより道有る者ならんか。

幸霊のコトバは実に筋道が通っている。このひとは、生まれつきに「道」を体得した聖人であったのではなかろうか。

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宋・蘇東坡「東坡志林」巻二より。

子にだけは唄ふ父なり青林檎 能村研三

おやじとおふくろ相手だからこれで済んでいますが、厳しい平日の社会ではこうは行きますまい。ああ、また50数時間経つと平日か・・・。

 

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