平成28年1月12日(火)  目次へ  前回に戻る

天上界まで旅したい。

今日は寒かったです。こんな日に腹出して歩いているひとがいると尊敬してしまいますよね。

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腹を出している、といえば布袋さんです。

「伝燈録」に曰く、唐末から五代にかけて、浙江・寧波の町にいた異形の僧侶、自ら契此(せつし)と名乗ったが、

形裁猥惰、蹙額皤腹。

形裁猥惰にして、蹙額皤腹なり。

身なりは見苦しく、だらしなく、額は狭く、腹は丸出しであった。

そして、

出語無定、寝臥随処。

語を出だすに定無く、寝臥随処なり。

言葉は何を言っているのかよくわからず、また寝るところも定まっていなかった。

常以杖荷一布嚢、凡供身之具、尽貼嚢中。

常に杖を以て一布嚢を荷い、およそ供身の具、ことごとく嚢中に貼す。

いつも杖を持っていて、その先に袋を一つ引っ提げ、身の回りに必要なものはすべてその袋の中に入れていた。

ためにひとびとは、彼を布袋大師と呼んだ。

これが布袋さん。

示人吉凶、必応期無忒。

人に吉凶を示すに、必ず期に応じて忒(たが)う無し。

他人に未来のことを予言したときは、必ず予測した時期そうなって、違うことがなかった。

もちろん自分の死期も予期して、後梁の貞明二年(916)に、石の上に座ったまま示寂したのであった。

―――ということで、今日は江戸時代のある坊主が作った、「布袋さんのうた」を読みましょう。

十字街頭一布袋、 十字街頭の一布袋、

放去拈来凡幾年。 放ち去り拈(ひね)り来たりておよそ幾年ぞ。

 繁華な十字路の街角で、抱えているのは布の袋一つ、

 これを放り出したりひねくり回したり、そうやって何年過ごしていたのか。

無限風流無人管、 無限の風流、ひとの管する無きも、

帰去来兮兜史天。 帰り去らんかな、兜史の天。

 限界の無い精神の自由は、誰にも管理されることはないが、

 そろそろ帰りましょうかな、兜率天に。

「兜史天」(としてん)は、弥勒菩薩がおわすという天上の「トシタ世界」の音訳で、「兜率天」(とそつてん)のことです。そろそろ現世を去って(形式的には死んで)、本来の住居である兜率天に戻る(生まれ変わる)よ、と言っているんです。

気が向いたので、同じ布袋さんのことを題材にもう一首作った。

朝弄布袋暮布袋、 朝たに布袋を弄し、暮れにも布袋、

弄来弄去知幾辰。 弄し来たり弄し去り、知る、幾辰なるを。

 朝には布の袋をいじくり、夕方にもまたいじくり、

 いじくりはじめいじくり終わり、こんな年をいくつ数えてきたのだろうか。

南無帰命老布袋、 南無、帰命(きみょう)、老布袋、

天上天下唯一人。 天上天下唯一人。

 なーむ、と我が身命を差し出そう、偉大な布袋さま、

 天上世界にもこの世界にもただひとりしかいないお方に。

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この詩を作ったのは越後の大愚良寛さんです。「良寛詩集」より「布袋」「又布袋」(「布袋」の方はたしか6〜7年前に一度紹介してますね・・・)。よし、ではおいらもそろそろ兜率天に帰るか。・・・と思ったが、夜になってなお寒い。布団から出るのイヤなので今日のところは止めておきます。

 

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