平成27年10月24日(土)  目次へ  前回に戻る

クマだおー。元気出して前向きに生きていこうおー。

と、元気なクマさんに励まされたりしてましたが、分家・肝冷斎、やはりダメだったようでちゅ。シゴトでつぶれて失踪したようで、もう今日はすがたが見えまちぇん。今日の更新は「うっしっしコドモ八人衆」より、おいら十二指腸冷童子が担当でちゅ。

・・・・・・・・・・・・・・・

元の阿里西瑛は江蘇生まれの回回族であるが、杭州に隠棲して、その住居を「懶雲窩」(ものうい雲の湧きでる穴ぐら)と名づけた。

そこで歌をつくりまちたので、聞いてくだちゃい。「双調・殿前歓」の節でうたいます、「懶雲窩」。

懶雲窩。  懶雲窩。

醒時詩酒、 醒時は詩・酒、

酔時歌。  酔時は歌。

 この「ものうい雲の穴蔵」では―――

 醒めているときは詩を作り、それから酒を飲み、

 酔ってしまったら歌をうたうのだ。

ここには、

瑶琴不理、 瑶琴は理せず、

抛書臥、  書を抛(なげうち)て臥すも、

無夢南柯。 南柯(なんか)の夢無し。

 美しい琴はあるが、弾き方は知らない。

書物を読み始めたがものういので投げ捨て、ごろりと横になる。

けれども「南柯」の夢など見ることはない。(世俗社会での出世など望んでないから。)

「琴を理せず」というのは陶淵明の故事を下敷きにしています。陶淵明は音楽が好きだったが琴を弾けなかったので、つねに「無弦の琴」を持っていて、興が高じるとこれを弾くさまをし(要するにエアーで弾く)、その音を想像して聞き入っていたという。

「南柯」は文字通りは「南側の枝」ですが、これは唐の伝奇小説「南柯伝」を踏まえています。青年が木陰で昼寝しているうちに(夢の中で)とある王国に迷い込み、ここでさまざまな手柄を立てて取り立てられ、ついに王女を妻にして「南柯国」の侯爵に封じられる。しかしこれが人生(夢の中の)のピークで、讒言や失敗によってやがて本国からの追討を受け、ついに立て籠もった宮殿が崩落して滅びる―――ところで目が覚めた。ちょうど眠っていた木の南側の枝が切り落とされ、枝に巣喰っていた無数のアリが退治されているところであった・・・。(すみません、うろ覚えなので細部は間違っているカモ)

ここでの生活は、

得清閑尽快活、 清閑を得てことごとく快活、

日月似揮梭過、 日月は揮える梭の過ぐるに似て、

富貴比花開落。 富貴は花の開き落つるに比せり。

 すがすがしくゆとりがあり、あらゆる面でここちよい。

 太陽と月は機織りのときに横糸を通す「おさ」のように素早く左右に行きかい、時間はとめどなく過ぎゆくもの。

 経済的成功や高貴な地位なんて、まるで花が咲き、花が落ちるのと同じで、望むべきものではないのだ。

青春去也、  青春去れり、

不楽如何。  楽しまずして如何せん。

 若々しい春の季節は終わってしまったのだ。

 どうして楽しまずに、あくせくと働くのだ?

・・・・・・・・・・・・・・

なるほどー。これから将来のあるコドモといたちまちても、大変勉強になりまちゅ。

オトナも学んでねー。

 

次へ